札幌地方裁判所 昭和47年(ワ)929号 判決 1980年10月14日
昭和四七年(ワ)第九二九号事件(甲事件)
原告
野呂儀男
外四七名
昭和四八年(ワ)第四一八号事件(乙事件)
原告
佐藤勝史
外四六名
昭和四九年(ワ)第一一七一号事件(丙事件)
原告
菅野政勝
外一八名
原告訴訟代理人
江沢正良
外七名
被告
北海道電力
株式会社
右代表者
四ツ柳高茂
外二名
被告訴訟代理人
山根篤
外九名
主文
一 原告らの主位的請求及び予備的請求第一次をいずれも棄却する。
二 原告らの予備的請求第二次をいずれも却下する。
三 原告らの予備的請求第三次(一)及び(三)をいずれも棄却する。
四 昭和四七年(ワ)第九二九号事件原告(一)ないし(三三)、(三五)、(三六)、(三九)ないし(四一)、(四四)、(四六)、同四八年(ワ)第四一八号事件原告(一)ないし(九)及び同四九年(ワ)第一一七一号事件原告(一)ないし(一〇)の予備的請求第三次(二)のうち、伊達市及び伊達漁業協同組合に代位してする請求をいずれも却下し、その余の各請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
<前文略>
第一章 当事者の求めた裁判
第一 原告ら
一 主位的請求
被告は、伊達市長和地区に火力発電所を建設してはならない。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行宣言。
二 予備的請求
1 第一次
被告は、伊達火力発電所を操業してはならない。
2 第二次
被告は、伊達火力発電所の操業により、原告らの健康を侵害したり、農林水産物に被害を与えたり、伊達市長和地区の景観を損なつたりしてはならない。
3 第三次
(一) 被告は、伊達火力発電所を操業する場合において、含有いおう分0.1パーセントを超える燃料を使用してはならず、全量排煙脱硫装置(効率九〇パーセント以上)、全量排煙脱硝装置(効率八〇パーセント以上)を設置すべく、かつ、これらを機能させずに操業してはならない。
(二) 被告は、右発電所の操業により、放水口(透過ブロック堤の先端で温排水(復水器冷却水及びこれに混入された自然海水を含む。)が公共海域に排出される位置)において、水量毎秒二二トンを超え、又は取水温度と排水温度との差が、七度Cを超える温排水を排出してはならない。
(三) 被告は、原告ら及び原告らの依頼を受けた者が、右(一)及び(二)を確認するため、右発電所に立入り、調査することを拒んではならない。<以下、事実省略>
理由
(書証の挙示及びその成立の判断について)<省略>
(主位的請求について)
第一章本案前の主張について
第一訴の利益
被告は、本件発電所は既に完成しているから、その建設禁止を求める主位的請求は訴の利益を欠くものであると主張するので、この点につき検討することとする。
<証拠>によれば、被告は、本件発電所一、二号機の設置を内容とする工事計画を立て、昭和四八年六月右一号機の建設工事に、ついで同五三年四月右二号機の建設工事にそれぞれ着工し、同五三年一〇月まず右一号機の工事を完成し、同年一一月三〇日からその営業運転を開始したこと、被告は、右二号機につき既に各種機器の据付工事を終え、同五四年一一月一日からその試運転を開始したが、これについての通商産業大臣(以下、通産大臣という。)の使用前検査(電気事業法四三条)を来る同五五年三月中旬に受ける予定にしており、右検査に合格したならば営業運転に切り替え、本操業に入る計画であることが認められる。
右認定事実によれば、本件発電所は、一号機については建設を完了し、また、二号機については各種機器の据付を完了して試験発電を行つているわけであるが、電気事業法は、同法にいう電気工作物の設置変更については、原則として、通産大臣の使用前検査に合格した後でなければ使用してはならない旨定め、かつ、これに違反した場合には、刑罰を科せられるものであるから、本件発電所建設のごとき電気工作物の設置変更の工事については、右検査に合格するに至らない間は、いまだこれを工事施行の余地のない程度に完成したものということは相当でないというべきであり、また、本件発電所は、少なくともその燃料供給、排煙、取排水に関する各設備はいずれも一、二号機共用を前提として計画されたものであるから、右二号機につき通産大臣の使用前検査を受けるに至つていない以上、本件発電所全体としては建設を完了したとはいい難く、本件発電所の建設禁止を求める必要性・実効性はなお存しているというべきである。しからば、本件主位的請求は、この点において不適法ということはできないものである。
第二環境権に基づく訴の適法性
被告は、原告らがいうところの環境権は、実定法上の根拠がなく、実体法的にも訴訟法的にも具体的な権利として承認されえないものであるから、主位的請求のうち環境権に基づくものは、審判の対象としての資格を欠くものであると主張する。
民事訴訟の対象となりうる請求は、単なる生活利益の主張では足りず、なんらかの法律的に当否の判定できる特定の個別的、具体的権利関係に基づくものとしての生活利益の主張でなければならないが、しかし、それ以上進んで、右権利関係が実在することまでをも必要とするというものではない。その果たして現に存在するか否かは、訴訟の本案の審理において判断されるべきことに属する。ところで、本件主位的請求は、本件発電所の建設の差止なる給付を求めるものであるが、そもそも、給付訴訟においては、給付の内容自体が不能若しくは法秩序に反する場合であればともかく、そうではない以上、給付の内容がなんらかの法律的当否の判定に適する権利の主張であれば足り、審判の対象としての資格を有するものというべきである。そして、これを基礎づけるところの権利の存否については、本案審理の問題として扱うのが相当である。本件主位的請求のうち環境権に基づく部分は、建設差止請求が求める給付の内容であつて、環境権の存否は、これを基礎づけ特定しようとするものにすぎず、その存否の判断をとおして解決するに適するものということができるから、請求の資格を備えているものというべく、よつて、被告の前記主張は採用することはできない。
第三当事者適格
被告において、原告帆江勇、同中村晃は札幌市に居住している者であるから、本件発電所の建設に関してなんらの法律上の利害関係はありえず、したがつて、右原告らは、その請求の当事者たりえないと主張するが、右原告らは、それぞれ本訴において、被告に対する関係で本件のごとき給付請求をし、本件発電所の建設の差止を求める請求権を有すると主張しているものであるから、右原告らは原告適格を肯定しうべく、ただ、果たして実体において給付請求権を有しているか否かは本案の審理の結果判断されるにすぎないものである。よつて、被告の右主張は採用しえない。
第二章本案について
第一当事者
一原告ら
弁論の全趣旨によれば、甲事件原告(一)ないし(三三)、(三五)、(三六)、(三九)ないし(四一)、(四四)、(四六)、乙事件原告(一)ないし(九)、丙事件原告(一)ないし(一〇)は、いずれも伊達市に居住しているもの、甲事件原告(三四)、乙事件原告(一〇)ないし(一九)は、いずれも有珠郡壮瞥町に居住しているもの、乙事件原告(二四)ないし(三五)、丙事件原告(一一)ないし(一八)は、いずれも虻田郡虻田町に居住しているもの、乙事件原告(三六)ないし(四七)、丙事件原告(一九)は、いずれも虻田郡豊浦町に居住しているもの、甲事件原告(三七)、(三八)、(四二)、(四三)、(四五)、乙事件原告(二〇)ないし(二三)は、いずれも室蘭市に居住しているもの、甲事件原告(四七)、(四八)は、いずれも札幌市に居住しているものであることが認められる。
二被告が一般電気事業を営む会社であることについては当事者間に争いがない。
第二本件発電所
一建設経緯
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
1 被告は、昭和四四年一二月ころ、はじめて、伊達市長和町に最大出力二五万キロワットの発電機一基を具備した重油専焼火力発電所を建設することを内部的に決定したが、その後、間もなく、最大出力三五万キロワットの発電機二基を設置することとして右決定を変更した。
2 通産大臣の指定する電気事業者は、電気事業法二九条により、毎年度、当該年度以降の二年間について電気工作物の施設計画及び電気の供給計画を作成し、当該年度の開始前に通産大臣に届け出なければならないものであるところ、右に該当する電気事業者である被告は、昭和四五年三月、本件発電所の建設計画を含めた電力施設計画を策定したうえ、これを通産大臣に届け出た。内閣総理大臣は、その電源開発基本計画案に本件発電所建設計画を組み入れ、これを電源開発調整審議会に諮問したところ、同審議会は、北海道知事から、本件発電所の建設計画に同意する旨の意見を聴取したうえ、同四七年一〇月一九日、前記基本計画案を承認した。そこで、内閣総理大臣は、同年一一月七日、右計画案のとおり基本計画を決定し、これを公表した。一方、被告は、電気事業法八条に基づき、同年一〇月二四日、通産大臣に対して、発電用の電気工作物の変更(伊達発電所一号機出力三五万キロワット新設)について許可申請をし、同年一一月二四日同大臣からその許可を受けた。そして、被告は、同法四一条に基づき、通産大臣に対し、右工事の計画について認可の申請をし、同四八年一月一六日、その認可を受け、また、北海道知事からは、同四八年六月二五日、本件発電所取水口外かく施設築造のための公有水面埋立免許を、同五一年八月三一日、本件発電所移送取扱所(パイプライン)の設置許可をそれぞれ受けたものである。
3 そこで、被告は、昭和四八年六月一四日、本件発電所本体の建設工事に、同五二年六月、パイプラインの設置工事にそれぞれ着工し、右パイプラインの配管接続工事は同五三年九月に完了し、本件発電所一号機建設工事は同五三年一〇月ころ完成し、同年一一月三〇日から本件発電所一号機の営業運転を開始した。ついで、被告は、本件発電所二号機についても同年四月に建設工事に着工したが、来る同五五年三月には営業運転を開始する予定である。
二規模、排出物質
1 被告は、昭和四七年七月一日から同年八月一五日までの間、順次、伊達市、壮瞥町、洞爺村、豊浦町、大滝村、虻田町との間で、本件発電所一、二号機の建設に関し、公害防止のため協定を結んだこと、及び、右協定は、その後、数次の改訂を経たうえ、同五二年一一月二日更に改訂をみるに至つたが、右改訂後の公害防止協定において、本件発電所の規模、排出物質につき次の定めがあることについては当事者間に争いがない。
出力 七〇万キロワット(三五万キロワット二基)
煙突 高さ二〇〇メートル、二缶集合型ノズル付き
使用燃料 煙突出口において実質いおう含有率0.4パーセントの重油又は原油
使用量 重油毎時155.6トン(一・二号機運転時)
排出ガス量 一・二号機運転時最大毎時二〇六万立方メートル(零度C、一気圧において。以下、同じ。)
いおう酸化物の排出量 一・二号機運転時毎時四三六立方メートル
窒素酸化物の排出量と排出濃度 一号機毎時一七九立方メートル、一八〇ppm以下、二号機毎時一二九立方メートル、一三〇ppm以下
ばいじんの排出濃度 0.03グラム/立方メートル以下
2 <証拠>によれば、昭和五二年一一月二日伊達市と被告との間に締結された右公害防止協定九条一号には、「温排水の水量は、二基合計で毎秒二二トンとするが、温排水の影響範囲を最小限度にとどめるため、カーテンウォール方式による深層取水施設、溢流堤及び透過ブロック堤並びに冷海水混入のためのバイパス施設を設置する等により、復水器冷却水の取水温度と排水温度との差を夏季五度C、冬季七度C以下とする。更に、温排水による海域の温度上昇を抑制するよう努める。」と定められていることが認められる。
3 <証拠>によれば、本件発電所の排煙排出諸元の設計値は、使用燃料のいおう分が煙突出口で実質0.4パーセント、燃料消費量一・二号機運転時毎時147.36トン、排煙量一・二号機運転時毎時一九四万五〇〇〇立方メートル、亜硫酸ガス排出量一・二号機運転時毎時四〇六立方メートル、窒素酸化物排出量一号機毎時一六九立方メートル、二号機毎時一二三立方メートル、窒素酸化物排出濃度一号機198.2ppm、二号機141.7ppm、ばいじん排出濃度一・二号機運転時0.02グラム立方/メートルであることが認められる。
第三差止請求の法的根拠
原告らは、環境権、人格権、土地所有権若しくは漁業権に基づいて、本件発電所の建設差止を求めると主張するので、以下これら法的根拠について検討を加えることとする。
一環境権
原告らは、良好な自然環境のもとで健康な生活を営むということは人間の最も根源的な権利であつてこれを基本的人権としての環境権と命名することができるとし、また、基本的人権としての環境権は、憲法二五条に根拠をもつ生存権的基本権であるとともに、憲法一三条に根拠をもつ自由権的基本権でもあると提唱する。そして、更に、自由権的基本権としての環境権は、即、私法上の権利としても承認されるべきであつて、環境破壊に対する差止請求及び損害賠償請求の法的根拠になりうると主張する。そして、その論旨の具体的な展開として、個人の健康や財産に具体的な被害が生じていなくても、また、そのおそれがなくても、環境が汚染されている(若しくは汚染のおそれがある)ということだけで、直ちに、当該企業等の開発行為の差止を求めうるものであると主張する。
しかしながら、もともと、憲法一三条は、基本的人権保障の理念的な前提である個人主義の原理を宣言し、国が国民の権利に対して最大限の尊重を払うべきことを規定したものであり、また、憲法二五条一項は、国において、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことをその責務として宣言したものであつて、いずれも綱領的規定であると解される。したがつて、これらの規定自体は、個々の国民に、国に対する具体的な内容の請求権を賦与したものではないというべきであるとともに、国以外のものに対する私法上のなんらかの具体的な請求権を直接定めたものではないといわざるをえない。ほかに原告らのいうような私法上の権利としての環境権を認めた規定は、制定法上見出しえない。
もつとも、個人の生存及び生活の自由が保持されるべく、そのためには人が健康で快適な生活を維持するに必要な条件を充足した良い環境の存在が不可欠であることは当然である。しかしながら、その個人の生命、健康及び生活の自由の基盤たる財産の保持は、法的保護の資格を具え、実定法上これに対する侵害から保護されていることは明らかであるといえるものであるが、これに比して、右環境の存在自体が私法上の保護の資格を具えており、これに対する侵害から保護されていると解しうるものであるか否かについては、なお検討を要するところである。環境は、いま仮に原告らの主張自体に即して考えてみても、一定地域の自然的社会的状態であるが、その要素は、それ自体不確定、かつ流動的なものというべく、また、それは現にある状態を指すものか、それともあるべき状態を指すものか、更に、その認識及び評価において住民個々に差異があるのが普通であり、これを普遍的に一定の質をもつたものとして、地域住民が共通の内容の排他的支配権を共有すると考えることは、困難であつて、立法による定めがない現況においては、それが直ちに私権の対象となりうるだけの明確かつ強固な内容及び範囲をもつたものであるかどうか、また、裁判所において法を適用するにあたり、国民の承認を得た私法上の権利として現に存在しているものと認識解釈すべきものかどうか甚だ疑問なしとしない。人の社会活動と環境保全の均衡点をどこに求めるか、環境汚染ないし破壊をいかにして阻止するかという環境管理の問題は、すぐれて、民主主義の機構を通して決定されるべきものであるといえる。もとより司法救済は、現在、環境破壊行為が住民個人の具体的な権利、すなわち、生命、固有の健康、財産の侵害のおそれにまで達したときには、後記のように個々人の人格権、財産権の妨害予防ないし排除として発動されるのであるから、これをもつて足るものと考えられる。
以上の次第であつて、原告らのいわゆる環境権の存在に関する主張は、いまだ採用することができない。
二人格権
個人の生命並びにその基盤となる身体の固有の健康状態及び精神的自由といういわば人格は、それを維持する手段たる財産権とともに法的に保護されるべきものであることは当然のことというべきである。民法七一〇条、七二三条は、実体私法が身体、自由、名誉という人格に付着する利益を権利とみていることのあらわれとして理解することができる。そして、財産権たる物権につきその妨害予防、排除の請求権が認められており、また、名誉の毀損については回復の請求が認められている以上、人格権は、何人もみだりに侵害することは許されず、これらを毀損するおそれのある侵害行為、すなわち、疾病をもたらすことはもちろん、固有の健康状態をより悪化させるとか、健全な発育を阻害する等の身体侵害行為及び著しい精神的苦痛又は著しい生活上の不利益を及ぼす行為に対しては、民法に規定のある損害賠償のみならず、妨害予防ないし排除を請求することができる機能を有するものと解するのが相当である。したがつて、本件についていえば、被告の本件発電所の排煙、排水、その他の操業行為によつて原告ら各自においてかかる侵害又はそのおそれを受けるときは、その排除ないし予防を請求しうるものというべきである。
もつとも、人格権の違法な侵害があるとして差止の請求を認めるには、原則として、各場合に応じてその受ける不利益の性質、程度、行為の目的、態様、性質等諸般の事情を比較衡量し、その被害が社会生活上受忍すべき限度を超えている場合にはじめて、右請求権の行使が認められるものといわなければならない。しかし、また、人格権はその性質上かかる受忍限度の設定においてやはりその侵害からの保護につき最大限の考慮をはらわなければならないものと考えられる。
三土地所有権
土地所有権に基づき所有物妨害予防請求権が認められるべきことは明らかである。そして、土地所有権は、少なくともその土地に居住し又は耕作により収益することの機能を果たすべきものであるから、外部からたとえ排煙、騒音等によるにせよ侵害を受け、その完全性を損うにいたり、その程度が受忍限度を超えるときはその排除及び予防を請求しうべきこと当然である。
弁論の全趣旨によれば、甲事件原告(二六)ないし(二九)、(三一)、(三三)、(三四)はそれぞれ別表2記載の土地を所有していることが認められる。
四漁業権
1 漁業協同組合の組合員たる漁業者又は漁業従事者は、当該漁業組合の有する漁業権の範囲内において漁業を営む権利を有するものであつて、これが侵害を受け又はそのおそれがあるときにおいて、その程度が受忍限度を超えるときはその排除ないし予防を請求しうるものと解するのが相当である。<中略>
3 ところで、弁論の全趣旨によれば、甲事件原告(二四)、(二五)は伊達漁協の(別表1のとおり)、同事件原告(一)ないし(一三)、(一五)ないし(二三)は有珠漁協の(同上)、丙事件原告(一)、(三)、(四)、(六)、(九)、(一〇)は有珠漁協の、それぞれ組合員であつて、右原告らは、いずれも、組合の制定した漁業権行使規則に基づき各漁協の有する漁業権の漁場区域において漁業を営む権利を有していることが認められる。
第四差止請求権の発生について
一手続違背に基づく差止請求の可否
原告らは、地域の環境に長期的かつ重大な影響を与えるおそれのある開発行為をするについては、事業主体において、事前に、当該行為によつて環境にどのような影響が生ずるかを科学的に調査するとともに、調査結果のすべてを周辺地域の住民に公表して、それに対する反論の機会を十分与え、住民の納得を得る義務があるのであり、これは相隣的信義則、人格権、環境権から当然導かれる結論であるとし、右の手続を経ていない本件発電所の建設は、そのことのみをもつて直ちに差止められるべきものであると主張する。
しかしながら、原告らの右主張は、環境影響評価手続について制定法の定めのない現段階においては、にわかに首肯し難い。けだし、環境権が実定法上の具体的権利としては認めがたいものであるということは先に述べたとおりであるし、人格権から直ちにそれが不安の解消を求める権能が含まれているものとして原告ら主張のごとき結論を導くことはいまだ困難である。更に、原告らの主張する相隣的信義則なるものは明確を欠く概念であるが、仮にこれを相隣的な生活関係を支配規制しているところの信義則と定義するとしても、それを根拠として、被害発生の有無を前提とすることなく、直ちに、事業主体が行おうとしている環境を汚染する可能性のある行為を差止めることができるとすることは、一般論としてはいまだ採用することは相当でないといわざるをえない。すなわち、事前の差止請求は、損害の回復を目的とする損害賠償請求の場合とは異なり、相手方に不作為を命じその権利の行使を制約することを求めるものであるから、明白なかつ強い必要性の存在と手段の均衡ないしは妥当性を要すべく、請求者側においてその有する権利につき侵害のおそれがあることがまず前提として存しなければならないとするのが相当であり、そのうえではじめて、諸般の事情を比較衡量して、差止請求が認められるかどうかが判断されるべきものである。原告らの主張は、所詮立法論を展開したものにすぎないといわなければならない。
もつとも、右のようにいつたからといつて、事業主体が事業の実施にあたり、予め環境影響調査評価(例えば、代替地、公害防止対策の各検討、住民に対する十分な説明、住民の意見の検討等)をなすべきであるということまで否定するものではなく、また、これの履行の有無が差止請求権の成否の判断における侵害のおそれの有無及び利害関係の衡量の際に重視されるべきであるということまで否定するものではない。そして、本件のごとき火力発電所建設の場合には、その操業によつて、いおう酸化物など人体に有害な物質の排出はある程度免かれないうえ、温排水の排出によつて海洋への影響もある程度避け難いのであるから、これらの点についての事前の調査研究及び対策が希ましく、これを怠るようなことがあれば、当該火力発電所の設置によつて付近住民の生命・身体・財産が侵害されるおそれがあるとの推認が強く働らき、その結果として差止請求を認められるに至ることもあるという関係にあるものである。
二権利侵害のおそれに基づく差止請求
1 立証責任についての考え方
原告らは、被害発生のおそれの立証としては、発生源から排出される物質の抽象的危険性さえ立証すれば足りると主張する。
建設予定の施設から将来発生するかもしれない公害の程度を正確に予測し、その立証を尽くすということはきわめて困難であるということ、更に、施設の構造機能を熟知しているのはむしろ事業主体である被告であつて、被告こそこれらに関する証拠を提出しやすい立場にあるということは、原告ら所論のとおりであるが、他方、被害発生のおそれがないということを、被告において完全に立証を遂げるということもまた至難であるということに鑑みれば、今、直ちに、本件のごとき公害を発生する可能性のある施設の建設差止請求の場合にのみ例外として、立証責任を転換すべきものと解することは相当でないと考えられる。しかし、なお、前記事情は具体的な訴訟運営の場において十分考慮されなければならないから、建設の差止を求める原告らとしては、当該施設に関する外部的事実(当該施設の性格、訴訟外で設置計画が公表されているとすれば、その公表された設置計画上の施設の規模・機能。)、当該施設周辺の自然的・社会的条件、当該施設から排出される物質の身体・財産に対する危険性等、すなわち、その存在から所与の知見・経験則に基づけば受忍限度を超える程度までの被害発生をもたらすおそれがあるであろうと推認しうる事実を立証するをもつて足りると解すべきである。そして、このような立証がなされた場合には、事業主体の方で、それにもかかわらず、当該施設の具体的構造・機能、採用しようとしている公害防止対策ないし危険回避のための措置からして、被害発生のおそれがないか若しくはおそれがないことを推認しうる事実を立証しない限り、前記のごとき推認を覆えすことはできないと解すべきである。これを本件に即していうならば、原告らとしては、被害発生のおそれを証明するためには、操業過程における特定物質の発生の可能性、外部への排出の可能性、媒体を通じての拡散の可能性、原告らの身体・財産への到達の可能性、被害発生の可能性という各命題を立証しなければならないわけであるが、については同種、同規模、類似の機構をもつた発電所が通常排出するとされている物質の種類・量を、については本件発電所周辺の気象・海象に関する特性、地勢を、あるいは立地条件が酷似している既存の他施設における発生物質の到達経路・範囲の実態を、については排出物質のもつ一般的な有害性(現に嫁働している他の火力発電所の周辺ではそのような施設のない他地域に比して呼吸器疾患の罹病率が高いというような疫学的調査結果でも足りる。)を原告らにおいて立証すれば、他に特段の事情がない以上、被害発生のおそれがあるということが認められるものとするのが相当である。そして、反面、被告において、かかる被害発生を防ぎうるより高い可能性の存在を反証すべき義務あるものと解するのが相当である。
2 侵害行為
(一) 本件発電所の排煙による大気汚染について
(1) 伊達市及び周辺地域における大気の状況
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
北海道における大気汚染の状況は、全般的には他都府県に比べ低い水準にあり、人の健康に直接影響を与えるような大きな問題は生じていないが、大規模工場が立地している室蘭市においては、工場が一般住宅の密集地域に隣接しているところでは、冬季の気象条件の悪いときに、一般家庭の暖房による汚染がこれらの工場や自動車排出ガスによる汚染にプラスされ、局所的に高濃度が出現することがあるといわれる。
ところで、被告は、後記のごとく、昭和五三年一一月三〇日本件火力発電所一号機の運転操業を開始したのであるが、伊達市及び周辺地域においては、右時期を含む昭和五三年度に至るまでは、SO2濃度年平均値は、低い濃度レベルで、全般的に、減少の傾向を示しており、環境基準長期的評価結果でもすべて適合となつており、NO2濃度年平均値は、SO2と同様、低い濃度レベルで、ほぼ横ばいの傾向を示しており、環境基準による評価では、すべて適合となつており、また、浮遊粉じん濃度は、やはり、ほぼ横ばいの傾向を示している。
以下はその状況として北海道が、昭和五四年公害の状況等に関する年次報告として発表したもの((ア)ないし(ウ))及び被告観測結果((エ)ないし(カ))の内容の一部である。<中略>
(2) 本件発電所の排煙排出諸元
(ア) 排出諸元(設計値)
<証拠>によれば、本件発電所は、出力三五万キロワットの発電機二基を備えるものであるが、その燃料消費量など排煙排出諸元の設計値は、一号機及び二号機の各単独運転の場合並びに一、二号機運転の場合につき、別表22のとおりであることが認められる。
(イ) 排出基準との比較
(a) いおう酸化物について
大気汚染防止法は、ばい煙発生施設において発生するばい煙について、排出基準を定め(同法三条)、ばい煙排出者は当該ばい煙発生施設の排出口において排出基準に適合しないばい煙を排出してはならないものとし(同法一三条一項)、これに違反した者に対しては罰則を設けている(同法三三条の二、一項)。
右いおう酸化物の排出基準は、次の式により算出したいおう酸化物の量とされる(同法施行規則三条)。
q=K×10-3He2
この式においてq、K及びHeは、それぞれ次の値を表す。
q いおう酸化物の量(温度0℃、圧力一気圧の状態に換算した立方メートル毎時)。
K 法三条二項一号、同法施行令五条、同法施行規則三条一項に定める定数=伊達市の場合は、17.5。
He 同法施行規則三条二項に規定する方法により補正された排出口の高さ(排煙有効高さ、単位メートル)。
本件発電所につき、右排出基準は、一号機の場合、毎時一七三六立方メートル、二号機の場合毎時一九〇五立方メートル、一、二号機の場合合計毎時三六四一立方メートルとなるから、本件発電所の、一、二号機運転時において排出される亜硫酸ガスの量(設計値)は排出基準に適合し、そのほぼ11.1パーセントであるにすぎないものである。
もつとも、排出基準は、これに適合しないばい煙の排出が、施設設置の段階では、計画変更命令の発動の要件になり、操業段階では、直罰の適用となり、更に、改善命令、施設使用停止命令の発効の要件ともなるものであるが、他面、これに適合していることをもつて直ちに、他人の権利の侵害のないことが推測されるとか他人の権利の侵害が受忍されるべきであるとかという判断の基準になるものではない。
(b) 窒素酸化物について
大気汚染防止法三条一項、同法施行規則五条二号、同規則別表三の二の三の項、同規則附則(昭和四八年八月二日総理府令第四四号)四、五項、同附則別表五の項によれば、本件発電所一号機に対する排出基準は、排出ガス一立方メートル(温度0℃、圧力一気圧)につき、二三〇立方センチメートルであり、また、同規則附則(同五二年六月一六日総理府令第三二号)別表三の九の項により、同五五年五月一日から同一八〇立方センチメートルである。
また、二号機に対する排出基準は、同法三条一項、同法施行規則五条二号、同規則附則別表三の二の三の項、同五四年八月二日総理府令第三七号により、排出ガス一立方メートルにつき一三〇立方センチメートルである。
してみると、本件発電所一、二号機の前記窒素酸化物の排出濃度(設計値)は右排出基準に適合しているものということができる。
(c) ばいじんについて
大気汚染防止法三条一、二項、同法施行規則四条、別表二の一の項によれば、本件発電所に対する排出基準は、排出ガス一立方メートル(温度0℃、圧力一気圧)につき、0.1グラムである。
してみると、本件発電所一、二号機の前記ばいじん濃度(設計値)は、右排出基準に適合しているといえる。
(ウ) 公害防止協定との比較
<証拠>によれば、被告は昭和四七年七月一日から同年八月一五日までの間順次、伊達市、壮瞥町、洞爺村、豊浦町、大滝村、虻田町との間で、本件発電所一、二号機の建設に関し、公害防止のため協定を結び、右協定は数次の改訂を経て、同五二年一一月二日更に改訂をみるに至つた。右各協定においては、排煙排出諸元につき別表23のとおり定めていることが認められる。
前記設計値と協定値とを対比すれば、前者は後者を下回つていることは明らかである。
もつとも、<証拠>によれば、右各協定においては、これに適合しないばい煙の排出は、伊達市等右協定当事者において、被告に対する改善措置又は本件発電所の操業短縮、一時停止等の措置の発動の要件となるものであるが、他面、これに適合していることをもつて直ちに、他人の権利の侵害のないことが推測されるとか他人の権利の侵害が受忍されるべきであるとかという判断の基準になるものではない。
(エ) 本件発電所一号機の排出諸元実測値との比較
<証拠>によれば、被告は昭和五三年一一月三〇日本件発電所一号機の運転操業を開始したが、これより先、電気事業法四三条一項、同法施行規則三七条所定の通商産業大臣による使用前検査を受けた。そして、その排出諸元実測値は別表24のとおりであつたことが認められる。
また、<証拠>によれば、被告は同月から同五四年六月までの間電気事業法一〇六条、電気関係報告規則(昭和四六年通商産業省令第五四号)二条所定のばい煙量等測定四半期報を通商産業大臣に報告したが、その実測値は、別表24のとおりであつたことが認められる。
右各実測値を前記本件発電所一号機の排出諸元設計値と比較すれば、右実測値は設計値を下回つていることが明らかである。
(3) 本件発電所の排煙排出装置機器とその安全性について
(ア) 湿式石灰石―石膏法排煙脱硫装置について
<証拠>によれば、被告は、本件発電所排煙のいおう酸化物抑制対策として湿式石灰石―石膏法による排煙脱硫装置(処理ガス量二六万Nm3/Hr)一墓を設置していることが認められる。
そして前示本件発電所一号機の設計値と運転実績との比較に鑑みると、右湿式石灰石―石膏法による排煙脱硫装置は実効性を有しているものと考えられるし、また、<証拠>によれば、湿式石灰石―石膏法による排煙脱硫装置は、中国電力水島発電所第二号機(一五六MW)においても昭和四九年四月以降良好な運転(処理ガス量三一万Nm3/Hr。ボイラー定格に対して2/3相当。稼働率九三パーセント。)が継続されていることが認められる。
もつとも、<証拠>によれば、湿式石灰石―石膏法による排煙脱硫装置については、いまだ、長期連続運転に対する装置の信頼性、耐久性などについての技術的な確立が今後の研究課題として残されていることが認められ、また、<証拠>によれば、同五三年三月現在稼働中の他の火力発電所の排煙脱硫装置の設置状況をみるに、設置ユニット出力三五〇MW程度のものにつき、排脱容量比率五〇ないし一〇〇パーセントのものが現存していることが認められるから、本件発電所につき、排脱容量のより大きな装置を設置することも技術上、経済上、不可能ではないことが明らかであるといえるが(しかも、<証拠>によれば、被告は同四七年八月当時における計画においては、前記同容量の排煙脱硫装置二基を設置することとしていたことが認められる。)しかし、<証拠>によれば、右湿式法による排煙脱硫装置は、同四九年三月から同五三年三月までの間運転開始に至つた他の火力発電所計三九ユニット中一ユニットを除きすべてに採用されているもので、現段階においては信頼性のあるものと考えざるをえず、また、排脱容量比率一〇〇パーセントとすることがより望ましいということはいえるが、これのみで発電所建設差止の可否を論ずることはできず、他に排煙拡散の程度等の諸点をも併せ考えられなければならないところである。
(イ) 二段燃焼法及び再循環ガス混合法について
<証拠>によれば、被告は本件発電所発電用ボイラーにつき、窒素酸化物抑制対策として、二段燃焼法及び再循環ガス混合法の技術を採用していることが認められる。
<証拠>によれば、二段燃焼法及び再循環ガス混合法はNOx低減技術として確並した手段と考えられ、その併用時にはNOx発生率を無対策時に比して、三八パーセント低減する効果を有するとの実験結果が報告されていることが認められ、かつ前示本件発電所一号機の運転実績に鑑みると右技術は実効性を有しているものと考えられる。
(ウ) 電気式集じん装置について
<証拠>によれば、被告は、本件発電所のばいじん抑制対策として電気式集じん装置(性能、処理ガス量一〇二万Nm3/Hr、集じん効率九〇パーセント、出口ばいじん濃度0.02g/m3)各一基を設置していることが認められ、前示本件発電所一号機の運転実績に鑑みると、右装置は実効性を有しているものと考えられる。
(エ) 煙突について
<証拠>によれば、本件発電所の煙突は、一号機及び二号機の排煙を集合して排出する二缶集合型、地表上の高さ二〇〇メートル、設計値排煙排出速度三二m/s、排煙温度一号機一一三度C、二号機一三四度C、一、二号機一二四度C、排煙有効高さ一号機三〇九メートル、二号機三二五メートル、一、二号機三八四メートルのものであることが認められる。
<証拠>によれば、右煙突高さ及び排煙排出速度によりダウンドラフト現象及びダウンウォッシュ現象を防止しえ(煙突の高さが、これに隣接する建物のうち最も高いものの2.5倍以上あれば、ダウンドラフトの影響はなくなるものといわれ、また、排煙の排出速度が風速の二倍以上あればダウンウォッシュを防止することができるといわれている。)、かつ、少なくとも地表から二〇〇メートル以下に生ずる逆転層による排煙の拡散不良はこれを防止することができるものであることが認められる。
また、右同証拠によれば、煙突から排出された亜硫酸ガス等の地表濃度は、排煙の亜硫酸ガス等の排出量に比例し、排煙の有効高さの二乗と風速との積にほぼ反比例することが多くの調査研究例により確かめられていることが認められるから、排出量及び風速がそれぞれ同じ条件とすると、高煙突であるほど最大地表濃度地点は煙突からより遠距離になるが、その着地濃度はより低く現れるものということができる。
(オ) 排煙排出の監視について
<証拠>によれば、本件発電所の排煙排出の状況について、被告は別表25のとおり測定しかつ機器を管理することを予定し、また、受入燃料中のいおう分については、受入の都度、分析、記録することを予定していることが認められる。
(4) 本件発電所の排煙の地表濃度の推定
(ア) 亜硫酸ガスについて
(a) 計算式による推定
<証拠>によれば、被告は、前記本件発電所の一、二号機を運転する場合の排煙排出条件に基づいて、大気安定度をやや安定(aθ/dz=0.0033℃/m)、平均風速毎秒六メートルとし、大気汚染防止法施行規則三条及び発電用火力設備に関する技術基準を定める省令三条に定める左記の計算方法により、まず排煙有効高さを計算し、次に、この有効高さに基づき、サットンの拡散式に従つて(ただし、大気安定度中立、風速毎秒六メートル。)、排煙の最大地表濃度を求めると、一時間値0.005ppmとなるとしていることが認められる。<計算式略>
ところで、<証拠>によれば、排煙の拡散は、風向、風速、大気安定度などの気象条件や地形、建物などの影響を受けるのであるが、煙突から排出される排煙中のいおう酸化物等の最大地表濃度は、いおう酸化物等の排出量に比例し、排煙の有効高さ(排煙の上昇高さと実際の煙突高さとの和)の二乗と風速との積にほぼ反比例することが知られているところ、前記排煙の有効高さの計算式は、ボサンケ第一式を補正した式(ボサンケ第一式による排煙上昇高さ×0.65、すなわち、ボサンケ第一式よりも上昇高さが低くなるよう補正したもの。)であるが、この式は、電中研において全風速を通じて実測値よりばらつきが大きいことが報告され、大気安定度が中立又は不安定の場合は計算できないこと(aθ/dz≦0)、また、前記サットンの拡散式は、性質上、平坦な地形の場合に適用できる正規分布型のものであつて、地形は気流の方向に変化を与え、あるいは気流の流れを生じさせるから、複雑な地形が入つてくる場合にはもともとサットンの式は適用できなくなるものであること、前記Cy=0.07,Cz=0.07は、我が国の大煙源ないし小煙源、臨海工業地帯ないし内陸部をいわば平均化したものとして定められた値であること、しかも、前記最大地表濃度値は、排煙は時間の経過につれて風向の変化等により水平方向の拡散幅が次第に大きくなるので、地表濃度は観測時間の関数として減少する傾向になるところ、前記サットンの式はもともと、最大地表濃度三分間値を求めるものであるが、右のような短時間値から一時間値を求めるには短時間値に一定の係数を乗ずる方法により算定することが可能であり、この時間希釈係数として0.15(ローリイの求めた不安定の場合の値)を採用するとの考えの下になされた計算値であること(なお、電中研は三分間値を一時間値に換算する時間希釈係数として(3/60)提唱している。)が認められる。
したがつて、伊達市及びその周辺地域の地形は平坦地ではなく、かつ、大気安定度が中立又は不安定の場合もあること(後記)を考えると、前記計算式による最大地表濃度一時間値0.005ppmをもつてはいまだ本件発電所の排煙による亜硫酸ガスの最大地表濃度と推定するには十分とはいえない。
なお、<証拠>によれば、電中研では、排煙有効高さにつき、実測結果との比較から、ボサンケ第二式中のCの値0.13を風速(u)の関数とし、C=0.26u21/2 とする式を採用し、また、排煙の拡散計算式にサットンの式を用いるにあたり、実験に基づいて得られた値として、日中中立状態を前提とし、水平方向拡散パラメータとして、0.2(一時間値では0.89)を、鉛直方向拡散パラメータとして、0.12(一時間値も0.12)を選定し、また、時間希釈係数として、時間の比の平方根に従い、0.224を用いることを提唱していることが認められる。
しかし、<証拠>によれば、右排煙有効高さを求める電中研式は風速三m/s以下の微風時においては実測結果とかなりの差が生じたことが認められ、また、<証拠>によれば、前記電中研の提唱する水平方向拡散パラメータCy(一時間値0.89)及び鉛直方向拡散パラメータCz(一時間値0.12)は主に平地における実験により得られたもめであり、かつ、これを用いた計算値と電中研が行つた伊達地点における現地拡散実験値(後記)とを比較すると、最大地表濃度は実測値が平均的に三〇ないし五〇パーセント薄く、最大地表濃度距離はばらつきが多く、実測値の方が煙源に近い結果となつていることが認められるところである。
したがつて、伊達市及びその周辺地域の地形は平坦地ではなく、複雑なものであることを考えると、右電中研式による計算法も本件発電所排煙のSO2最大地表濃度を推定することはいまだ十分とはいえない。
(b) 風洞実験による推定について
(ⅰ) <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
被告は、前記電中研に対し、本件発電所の煙突からの排煙拡散風洞実験(①各風向、風速時及び煙突高さを変えたときの排煙地表濃度分布、②地形が平坦な場合における同結果との比較)を委嘱し、電中研では、その環境大気部大気拡散研究室が担当し、昭和四四年一二月から同四六年六月までの間電中研の有する拡散専用風洞を用いて実験を行い、同四六年一二月その結果を得て報告した。実験の方法は、まず、拡散風洞(水平吹き出しエッフェル型拡散風洞装置、全長26.7メートル、測定部の長さ8.25メートル、幅三メートル、高さ1.5メートル、角型)に地形模型を入れないで風(風速の縮尺1/3。なお、風洞流速と大気風速とを等しくすれば、相似が成立するといわれている。)を流し、煙突模型(縮尺率1/3500)からトレーサー・ガス(エチレンガスC2H4。排出量縮尺率SQ1=100cm3/0.275×106×60……一缶相当。SQ2=100cm3/0.550×106×60……二缶相当)を排出、拡散させ、サットンの拡散式に拡散パラメータCzを用いて算出された最大地表濃度地点に相当する地点が風洞内の最大地表濃度地点になるように風洞内の風の乱れを作り、もつて風の流れ全体の場の相似が成立した――すなわち、拡散パラメータCyが一致する――と考え、その地表濃度分布状況を測り、次に、右風洞に伊達市及び周辺地域の地形模型(本件発電所を中心として半径二二キロメートルの線で囲まれた半円状の範囲の地形模型。長さの縮尺率風向北西の場合は1/3500、その他の風向の場合は、)を入れて右同様の実験を行つた。
実験対象条件は次のとおりであつた。
① 排煙排出条件ユニット出力 三五万キロワット二基煙突高さ 一五〇メートル及び一八〇メートル各二缶集合型
燃料 重油(S=1.7パーセント)
② 気象条件
風速 三、六、九m/sの三風速
風向 北西の風(排煙が室蘭市街方向に流れる風向)、南の風(排煙が洞爺湖方向に流れる風向)、南南西の風(排煙が壮瞥方向に流れる風向)、南南東の風(排煙が豊浦方向に流れる風向)
大気安定度 中立
その結果を風速及び排煙量の各縮尺率に基づいて換算し、各風向別の最大地表濃度(一時間値)を求めれば、ほぼ、別表26のとおりであつた(ただし、風向北西の場合は、時間希釈係数をとする。)
次に、本件風洞実験実施後、本件発電所の排煙排出条件の計画値が一部変更されたので、この実際の排煙排出条件、すなわち「燃料いおう含有率実質0.4パーセント、煙突高さ二〇〇メートル」に基づき、右実験値を修正換算すれば(――排煙中のSO2の最大地表濃度はSO2の排出量に比例し、排煙の有効高さの二乗に反比例するものとして――)、ほぼ、別表27のとおりとなるとする。
(ⅱ) のところで、<証拠>によれば、右風洞実験による推定についても、その実験手法において、その排煙有効高さの条件を求めるにつき、前記計算式を用い、また、流れの場の相似の条件を求めるにつき、前記サットンの拡散式を用いているものであつて、前示計算式について述べたと同様の制約を本来有するものであり、更に、右風洞実験においては、大気安定度中立の場合のみに制約されるものであることが認められるから、右推定もこれら前提条件に制約され評価されるものであることが明らかである。
したがつて、伊達市及びその周辺地域の大気安定度(後記)を併せ考えると、右風洞実験のみによつて本件発電所排煙のSO2最大地表濃度を断定することはいまだ十分とはいえない。
(c) 現地拡散実験による推定について
(ⅰ) <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
被告は本件発電所の新設計画にあたり、エアトレーサ(螢光粒子、FP)による現地拡散実験を電中研に対し委嘱した。
電中研は、昭和四六年六月一〇日から同月一五日までの間本件発電所建設予定地点を中心として半径二二キロメートル、方位角約二〇〇度の範囲を画し、地表濃度測定地点計五七地点(室蘭方向二〇地点、壮瞥方向一九地点、豊浦方向一五地点、壮瞥、豊浦共通方向三地点)を設け、発電所建設予定地点上空の想定排煙有効高さの値(ボサンケ第二式の電中研修正式により算出したもの)に、ヘリコプターの誘導空気流によるFPの降下距離の値を加えた高さにヘリコプターを静止(四〇分間)させ、そこからFP(約一四キログラム、粒子総数N)を噴霧させ、これを前記各測定地点で採集し、各地点ごとに採集したFPの粒子(N)の数を調べ、地表濃度を算出換算する方法により、延べ九回実施した。
実験に取り入れた諸条件は次のとおりである。
煙突高さ一八〇メートル、排ガス量208.4×104Nm3/h、SO2排出量1878Nm3/h(0.522Nm3/s)、S分1.7パーセント
気象条件については、その間一〇地点において地上気象観測を行い、七地点において測風気球を用いて風向、風速の鉛直分布を観測し、更に、本件発電所建設予定地点上空において、低層ゾンデ及びヘリコプターによる気温の鉛直分布を観測した。
その結果を基にして代表風向別に最大地表濃度(一時間値)を求めれば、ほぼ、別表28のとおりであつた。
なお、右試験番号14―C―2については、気象観測において、高度二〇〇メートル以上で気温の逆転があつたのであるが、右実験においては、中立状態における排煙有効高さを計算の基礎として実験を行つたので、その実験値21.2ppbを右のように補正したものである。
次に、本件現地拡散実験後、本件発電所の排煙排出条件の計画値が一部変更されたので、この実際の排煙排出条件、すなわち「燃料いおう含有率実質0.4パーセント、煙突高さ二〇〇メートル」に基づき、右実験値を修正換算すれば(――排煙中のSO2最大地表濃度は、SO2の排出量に比例し、排煙の有効高さの二乗に反比例するものとして――)、ほぼ別表29のとおりとなるとする。
なお、<証拠>によれば、逆転層の下限が排煙の有効高さ近傍に存している場合には、排煙の拡散が阻害され、地表濃度は相対的に高くなるが、このような場合における最大地表濃度は実験値(中立状態)に対し、煙は中立成層側に完全反射するため、最大約二倍の値になるものであることが理論式においても実験的にも確かめられていることが認められる。
(ⅱ) ところで、<証拠>によれば、右現地拡散実験による推定についても、その実験手法において、その排煙有効高さの条件を求めるにつき、前記計算式を用いているものであつて、前示計算式について述べたと同様の制約を本来有するものであり、また、実験期間及び回数が限られるため、例えば、海陸風の拡散に及ぼす影響の点についての結論を得るに至つていないものであることが認められるから、右推定もこれら前提条件に制約され評価されるものであることが明らかである。
したがつて、伊達市及びその周辺地域の大気安定度及び海陸風の状況(後記)を併せ考えると、右現地拡散実験のみによつて本件発電所排煙のSO2最大地表濃度を断定することはいまだ十分とはいえないものである。
(d) まとめ
前説示のように計算式、風洞実験、現地拡散実験による各推定は、いずれもそれぞれの前提条件を有しこれに制約されているから、それのみではいまだ十分とはいえないし、このことから、本件発電所の排煙による亜硫酸ガス地表濃度が右推定濃度を超えないものと断定することはできないものといわなければならない。しかし、原告らは、本件発電所の排煙による亜硫酸ガス地表濃度は高濃度になる旨主張するが、本件に顕われた全証拠によるも、本件発電所の排煙による亜硫酸ガス地表濃度が、一般的ないしは恒常的に右推定濃度を超えるものであることを認めるには足りない。そして、<証拠>によれば、高煙源からの排煙拡散によるその地表濃度の推定の手法については、本件のごとき計算式、風洞実験、現地拡散実験による各推定を総合して判定評価することが研究されているものであり、他にこれに代りうべく、かつ採りうべき手法はない状況であることが認められるところであるから、火力発電所建設にあたり、その排煙の地表濃度を推定する方法として本件のごとき計算式、風洞実験、現地拡散実験の総合評価の手法によることは相当といわなければならない。
もつとも、前記計算式、風洞実験、現地拡散実験による各推定は、その性質上いずれもいわば平均値であるから、実際の地表濃度がこれを超える場合のあるということ反面、これを超えない場合のあること――も含んでいるものであることは明らかであるが、その頻度、程度及び影響については更に別途、殊に気象条件を加えて検討の要があるところである。
(イ) 窒素酸化物について
<証拠>によれば、気体の大気中での拡散は、物質により異なることはないので、同一の方法で予測しうるものであることが認められるところ、前記本件発電所の窒素酸化物の排出量(設計値)に基づき、前記計算式により窒素酸化物の最大地表濃度を求めると、一時間値ほぼ、0.004ppmとなることが明らかである。
本件窒素酸化物の最大地表濃度一時間値が、同条件のもとにこれを超えることを認めるに足りる証拠は存しない。
(ウ) ばいじんについて
<証拠>によれば、本件発電所から排出されるばいじんはきわめて微細な粒子状であるので、ガス体と同様に大気中で拡散希釈されるものとみてよいことが認められるところ、前記本件発電所のばいじんの排出濃度に基づき、前記計算式によりばいじんの最大地表濃度を求めると、一時間値ほぼ、0.004mg/m3となることが明らかである。
本件ばいじんの最大地表濃度一時間値が、同条件のもとにこれを超えることを認めるに足りる証拠は存しない。
(5) 伊達市及び周辺地域における気象について
(ア) 排煙拡散における気象の意義
<証拠>によれば、排煙の拡散は、地形、建物等の存在(地表粗度)のほか、風向、風速、大気安定度などの気象条件により影響を受けるものであるが、殊に、逆転層、海陸風、湖陸風、静穏、弱風、風の収束は排煙の拡散を阻害し、その地表濃度を平担な地形又は、大気安定度中立の条件等下におけるものよりも相対的に高める要因となるものと考えられるから、排煙の地表濃度につき推定をするには、かかる気象条件を知り、検討を加えることが不可欠であることが認められる。
(イ) 被告のした気象調査の内容
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
被告は、昭和四四年中気象協会に対し、本件発電所建設に伴う排煙対策上必要な伊達市及び周辺地域における気象条件につき調査を委託した。そこで、気象協会は、おおむね次の要領により調査を実施した。
(a) 伊達消防署、伊達農業センター、室蘭地方気象台、被告長和観測所において得られた長期間の一般気象観測値を統計解析した。また、上長和、松ケ枝、西関内、有珠、壮瞥に観測機器を設置して、気象を通年観測してその観測値を統計解析した。これらの資料の項目及び期間は別表30のとおりである。
(b) 気象協会はまた、伊達地区における局地気象の調査として昭和四六年一月から同四七年八月までの間四回にわたり観測解析を行つた。その目的、項目、時期は別表31のとおりである。
(ウ) 被告のした気象調査の結果(伊達市及び周辺地域における気象)について
(a) 本件発電所周辺の気象の一般的特性及びその道南地方における特異性の有無
<証拠>によれば、伊達市及び周辺地域は、大別して海洋に面する海陸境界たる伊達地区、その北北東方向に盆地状をなす壮瞥地区、北方向に存する有珠山塊、東方向に存する鷲別山塊より成るものであるが、伊達地区は、年平均風速4.7m/s、気温についてはおおむね冬季マイナス二ないし三度C、春季は六度C、夏季は二〇度C、秋季は一二度Cで経過し、湿度についてはおおむね冬季は七五パーセント、春季は七五パーセント、夏季は八三パーセント、秋季は七六パーセントで経過し、降水量年平均一〇〇〇ミリメートル、霧日数約三〇日、雪日数約一〇〇日であり、季節変化としては、冬季はいわゆる西高東低の冬型の気圧配置が続き、北西の風が吹き、春季は南高北低の気圧配置となり、南東風が強いことがあり、夏季はいわゆる夏型の気圧配置となり太平洋からの南風が吹き、秋季には気圧の傾きは小さく、風が弱い傾向があるが、これらは道南地方の気候と比較して特異性はないものであることが認められる。
(b) 風向、風速及び流線
(ⅰ) <証拠>によれば、北電長和観測所地上標高九メートル、高度三五〇メートル及び四五〇メートルにおいて昭和四六年一、二月、六月、九、一〇月の間に観測した計一七七回の資料に基づく各風配図及び風向、風速別頻度は別紙図面B―3のとおりであることが認められる。
(ⅱ) 次に、<証拠>によれば、同観測所において昭和四五年七月から同五〇年六月までの間に観測した資料に基づく年平均風向別、風速階級別風配図は別紙図面B―4のとおりであることが認められる。
(ⅲ) また、<証拠>によれば、伊達消防署(感部標高五五メートル)における昭和三八年一一月から同四九年一〇月までの間に観測した資料に基づく年平均風配図は別紙図面B―5のとおりであることが認められる。
(ⅳ) <証拠>によれば、流線が定常状態に近い場合は、流体中の個々の粒子は、この流線の方向に大部分流れていると考えてよいところ、伊達消防署における昭和四四年四月から同四五年三月までの間の風向が西ないし北北西のときの平均風速は7.2m/sであり、流線解析の結果は、右四方位の年間発生頻度は42.1パーセントであり、このうち伊達から室蘭への影響があると推定される場合は、約一五パーセントであること、そして、その大部分の継続時間は五時間以内であるが、一二月、一月、二月の冬季における季節風が吹き続くときには、中には、七〇時間に及ぶ場合があることが認められる。
また、同証拠によれば、伊達地区においては、同時観測時刻であつても、高度によつて流線が異なり、風速の強い場合は、地上と上空の流線の方向のずれは小さく二〇度程度であるが、風の弱い場合は、地上と高度四五〇メートルの流線の方向のずれが九〇度のことがあるが、地上における傾度風速一二m/s以上であれば、地上と上空(高度四五〇メートル)の風向は、ほぼ、同じとみてよいことが認められる。
(c) 大気安定度
<証拠>によれば、気象協会の前記鉛直温度分布の観測においては、地上から高さ七〇〇メートルまでの範囲では、中立の頻度は約九一パーセント(全観測例五三個のうち四八個)であり、また、高さ二五〇メートルから高さ七〇〇メートルまでの間の上空の範囲では、中立の頻度は約八五パーセント(全観測例五三個のうち四五個)であつたことが認められる。
(d) 逆転層
(ⅰ) 接地逆転について
<証拠>によれば、地表に近い逆転層は、①冬季に高気圧圏内に入り、弱風、晴天のときに夜間から早朝にかけて、地表面からの熱放射により地表面が冷却して発生する放射性逆転、②夜間内陸において放射冷却により接地気層の空気の密度が増加し、斜面下降風となつて内陸から海岸へ向けて吹き出すときの海岸付近に発生する逆転及び③夏季に、日中海陸の温度差によつて、下層空気に密度差が生じ海風が卓越するときの海岸付近に発生する逆転が考えられるところ、気象協会は、前記昭和四六年二月二〇日二〇時四三分から同月二一日六時四〇分にかけての鉛直温度分布の気象調査において、地上から五〇メートルまでの逆転が最も強く、五〇ないし一〇〇メートル層は弱い逆転ないし等温状態、一〇〇メートル以上は逓減状態に変つているのを観測し、また、前記同年六月九日から同月一八日までの間の計三三回にわたる鉛直温度分布の気象調査において、高度一〇〇メートル付近に第一次逆転がみられたが、その層の上限はいずれも高度二〇〇メートル以下であつたことが認められ、以上の事実に基づけば、伊達地区における接地逆転の上限はほぼ、高度二〇〇メートル以下であるということができるものである。
そうしてみると、本件発電所の排煙の有効高さは、その前記排煙条件及び付近の気象条件からみて少なくとも高度二五〇メートル以上といえるから、右のごとき接地逆転の存在は、右排煙の拡散を阻害する要因から除外して考えてもよいものということができる。
(ⅱ) 沈降性逆転について
<証拠>によれば、高気圧圏内で、快晴で、風が弱い条件の場合に、上層空気全体に沈降現象が存し、その沈降によつて空気は乾燥断熱昇温するが、その沈降は地表付近で弱く、高度一〇〇〇メートル付近で強いため、下降して温度上昇した気層とその下の気層の内に逆転層(沈降性逆転層)が形成されるが、このような上層における逆転層は一般に数百キロメートルの規模に及ぶものと考えられているところ、気象協会は、前記昭和四六年六月一四日一〇時の鉛直温度分布の気象調査において、高度五〇〇ないし七〇〇メートルの間に逆転層を観測したが、当時の気象条件は、六月一二日後半には日本海中部から移動性高気圧が北海道に接近し、一三日には、この高気圧は北海道を通過し、その後引続いて、次の移動性高気圧が日本海に現れていて、このため、一四日前半まで北海道付近の気圧の傾きは弱く、晴天が続いた状況であつたことが認められる。
右事実によれば、伊達地区においても、沈降性逆転層の発生があること、しかも、かかる上層の逆転層は前記接地逆転層と異なり、本件発電所の排煙の拡散を阻害する可能性が十分考えられるから、その発生頻度につき検討を要するものといわなければならない。
<証拠>によれば、気象協会は、前記同年二月、六月、九月、一〇月に行つた鉛直温度分布調査の資料と札幌管区気象台がその間行つた同様の観測資料のうち、観測時刻のほぼ等しいもののみ一七組につき逆転層の下面の高さを比較した結果、札幌で上層に逆転層が観測されるときには、伊達地区(長和)においても上層逆転層が観測され、しかも、その下面の高さはほぼ同じ傾向にあることを認めたこと、そこで、気象協会は、札幌における上層逆転層の発生頻度を把握すれば、伊達地区におけるそれをほぼ同程度と推定しうるものと考え、札幌管区気象台において同年一月から同年一二月までの間の観測資料計七二八回につき①下層(地上から二五〇メートル)・中層(二五〇メートルから四五〇メートル)が中立で上層(四五〇メートルから七〇〇メートル)が逆転している場合、②中層のみが逆転し、下層及び上層が中立の場合、③下層のみが中立で、中層及び上層が逆転している場合の発生頻度を調査したところ、日中計四九回、夜間計五二回であつたので、このことから、本件発電所付近において発生する右類型の逆転層の頻度は同程度である、と推定判断したことが認められる。
しかして、前示のように沈降性逆転の発生全体は、その規模数百キロメートルに及ぶものといわれていることを併せ考えると、右気象協会のした推定は是認しうるところであり、他方、伊達地区における沈降性逆転層の発生頻度がこれを超えるものであることを認めるに足りる証拠はない。
(e) 海陸風
<証拠>によれば、海陸風は海陸の比熱の差により生ずるものであり、海岸地帯にあつては、その規模の大小に差こそあれ、必ず発生するものであるが、一般に、気圧の傾きの弱い、好天のときが海陸風発生の前提条件となり、また、その及ぶ範囲は一般風の風向、風速、海岸付近の地形等に左右されるものといわれるところ、気象協会は、前記①昭和四六年六月一五日及び同年九、一〇月に海陸風の把握を目的として地上風と上層風の観測を行い(観測地点=北電長和観測所、伊達消防署、松ケ枝、西関内、伊達農業センター、上長和、有珠、壮瞥。ただし、上層風は北電長和観測所地点のみ。)、また、②同目的で同年九月から同四七年八月までの間の地上風向、風速、気温、日射量、海水温等の観測資料に基づいて解析調査を行つたが、その結果、海陸風(冬期間における斜面下降風も含む。)の年間発生日数は約一〇〇日で、季節的には七月から一〇月までの間に発生頻度が多いこと、海陸風の影響する高さは五〇ないし一〇〇メートル程度(ただし、風速2m/s以下のとき及び下層の空気が不安定なときは高くなる傾向がある。)であること、海陸風の内陸における水平面の規模は、ほぼ、長流川及び気門別川下流の扇状地地域内、すなわち海岸から内陸方向に六キロメートルが限界であり、陸風の沖合の限界は、海岸から五ないし六キロメートル程度と推定されること、また、海風前線は、海と陸との気温差の程度や一般風の強弱などにより移動したりあるいは停滞したりするが、移動するときの平均速度は二ないし三Km/hrであり、停滞する場合の地域は、上長和と松ケ枝周辺が年間九回、上長和と壮瞥間が年間二一回であり、また、朝及び夕に発生する長和における凪の継続時間については、凪の全数の七五パーセントが二〇分以内であつた(ただし、七一分を超えるもの一例)ことと判断したことが認められる。
もつとも、気象協会の行つた右観測調査においては、地上風向、風速、気温、日射量、海水温の観測は年間行われたものの、上層風の観測は前記のごとく、限られた期間及び観測地点においてしか行わなかつたことが明らかであるところ、<証拠>によれば、気象学上、疎な観測網のもとにおける地上風資料だけで海風と同じ方向の風の吹いているところをもつて海風の侵入の距離と考えるのは危険であることが指摘されていること、<証拠>によれば、気象協会の行つた前記同四六年九、一〇月における観測の結果においては、海陸風の高さについては、陸風では四〇〇メートル程度、海風では五〇〇メートル程度と推定された場合があつたことが認められるところであつて、これらの事実を併せ考えると、気象協会の前記海陸風についての判断は、必ずしも十分な信頼性をもつたものということは困難であるといわざるをえない。
しかしながら、他方、海陸風の頻度、高さ、規模、海風前線の速度につき右調査結果を超えるものとすることを認めるに足りる証拠はない。
(f) 湖陸風
<証拠>によれば、気象協会は、前記昭和四六年九月から同四七年八月までの間の地上気象統計調査資料に基づき、壮瞥における同四六年一〇月、同四七年一月、同年四月、同年七月の各時間別風向出現回数を調査したが、この調査においては、洞爺湖と壮瞥とを結ぶ風向である北西(湖風)及び南東(陸風)の風向頻度が特に多いとはいえないことが明らかとなり、また、同資料に基づき、壮瞥における同四六年九月から同四七年八月までの間の計四八例につき風速日変化を調査したが、この調査においては、夜間の風速はいずれも、殆んど静穏になることが明らかとなり、以上のことから、洞爺湖の湖風の現象はないものと判断したことが認められる。
もつとも、右調査は、壮瞥における地上気象の観測結果のみに基づいたものであるから、洞爺湖の湖陸風の全般を明らかにするものではないといわなければならない。
しかし、右湖陸風の存在及び程度を右以外に明らかにすべき証拠は存しない。
(g) 静穏、弱風
<証拠>によれば、北電長和観測所における昭和四五年七月から同五〇年六月までの間の地上風の観測資料に基づく年間風速階級別頻度統計は、静穏(風速0.2m/s以下のとき)の発生頻度は年間2.4パーセントを示していること、また、右北電長和観測所のほか、周辺の上長和、伊達消防署、西関内、松ケ枝、有珠、壮瞥における同四六年九月から同四七年八月までの地上風毎時の観測値統計は、右地点が同時に静穏になる頻度は、0.2パーセントであり、右地点が同時に弱風(風速0.9m/s以下のとき)になる頻度は1.2パーセントを示していること、他方、前記北電長和観測所において同四六年一、二月、同年六月、同年九、一〇月に観測した計一七七回の資料によれば、地上の静穏頻度1.1パーセント、高さ三五〇メートル上空における静穏頻度0.6パーセント、高さ四五〇メートルの上空における静穏頻度〇パーセントであつたことが認められる。
右事実によれば、本件発電所付近における風が静穏ないし弱風となる頻度及び伊達、有珠、壮瞥地区における地上風が同時に静穏ないし弱風となる頻度はいずれもきわめて少ないものということができる。
もつとも、<証拠>によれば、乱流変動の観測にはCBSW―一型ソンデを、水平鉛直両成分の気動変動の測定にはバイベーンをそれぞれ使用することが推奨されていることが認められるが、このことから直ちに右被告の推定を否定し去ることはできず、また、伊達地区における静穏、弱風の頻度が右推定を超えるものであることを認めるに足りる証拠資料は存しないところである。
(h) 長流川流域における風の収束
<証拠>によれば、多くの風向の風が、地形の影響により特定の地域に集合し、風向の変化にもかかわらずその地域が常に煙源の風下になるため、時間が経過しても平均地表濃度が低下していかない風の挙動を風の収束又は収斂というが、海岸部の相当範囲の地域に多数煙源が存在する場合に、内陸部の特定の狭隘な地域に風の収束が生じたときは、多数煙源から排出された煙は一つの風向のみではなく、多くの風向の風によりその地域に集中するようになり、常時、ほぼ一定の濃度が持続するようなことになる結果、その地域においては時間が経過しても地表濃度の低下がなく、日平均値、年平均値が一時間値に比して低減しないようなことが考えられること、一方、単独煙源の場合には、他の煙源がないから、風の収束により濃度の低下が妨げられる程度は著しく低いといいうるが、拡散の良好な地域に比べれば、地表濃度の低下の度合が少なくなる可能性が考えられること、他方、排煙の濃度は、風下に進めば進むほど拡散希釈の進行により低下するから、仮に収束が認められたとしても、その地域において排煙が濃縮して濃度が増加するというようなことはありえないこと、気象協会は、前記昭和四六年九月から同四七年八月までの間の北電長和観測所及び壮瞥における地上風観測資料に基づき、北電長和観測所における地上風の風向のうち南西風、南南西風、西南西風の風向の際同時刻における壮瞥における地上風の風向を検討したところ、北電長和観測所の三風向のいずれの場合においても、壮瞥の風は静穏となる頻度が多いことを認めたので、このことから、上長和から村境にかけての狭隘部を含む長流川流域の地域に恒常的な風の収束は生じているとは認められないものと判断したこと、が認められる。
右事実によれば、右狭隘部を含む長流川流域の地域には、恒常的な風の収束はないものということができるようにみえるが、しかし、右壮瞥における観測地点は、右狭隘部の中に位置するよりもむしろ狭隘部を出てその北方に開けた盆地状の壮瞥地域の中に位置するものであるから、このことから考えると、右壮瞥における観測地点の風向の観測値を資料として右風の収束の有無を判断するのは、むしろ相当ではないものと考えられる。
しかし、<証拠>中には、原告木村益巳らは、同五三年七月二九日風の調査を行つたが、上長和から村界にかけての狭隘部における風速が、同時刻に測定した長和や壮瞥の風速に比して著しく大きかつたから、右狭隘部一帯に風の収束現象が存在したと判断した旨の部分があるが、この事実のみをもつて、直ちに右風の収束が恒常的に存するものと認めるには足りず、なお長期間における観測値の検討をまたなければ右風の収束を断定することはできないものと考えられる。
<証拠>によれば、同四七年七月三一日一〇時において、風向は、長和において北北東4、有珠において東2、伊達消防署において東3、松ケ枝において北東2、西関内において北北東3、伊達農業センターにおいて北北東2、上長和において北東3を示しているところ、壮瞥においては北北東3を示していたことが認められるが、この一事例のみをもつては、やはり右風の収束が、あるものと断定するには足りないものというのが相当である。他に、右風の収束の存在を認めるに足りる証拠は存しない。
(i) まとめ
以上主として気象協会の行つた伊達地区の気象観測及び統計解析の結果によれば、本件発電所周辺には、排煙の拡散を阻害し、地表高濃度が出現すべき気象条件については、一部逆転層、海陸風、静穏、弱風の現象が認められるものの、その頻度及び程度は他地区に比して特に著しいことは認められないことになるが、しかし、前示のように右観測、統計も完全、十分なものとはいえないことからして、右結果をもつてかく断定することは危険であるといわざるをえないし、そもそも、前記排煙拡散予測もいわば平均的な値の予測であつて、現実にはその値より高い値の地表濃度が出現することもまた性質上否定しえないところのものなのであるから、これらの条件が加わればより高濃度の地表濃度出現の可能性があることは容易に考えうるところである。しかし、更に、かかる高濃度出現の頻度及び程度の点については、なおこれを明らかにすべき証拠は本件においては存在しないところである。<中略>
(9) 本件発電所の排煙による影響の予測
(ア) 人の健康に対する影響について<中略>
(d) 検討
(ⅰ) <証拠>によれば、北海道大学医学部公衆衛生学教室教官(当時)渡部真也は、昭和五四年一二月から同四六年一月までの間室蘭地区においてBMRC方式により慢性気管支炎有症率及びぜん息様症状有症率の調査を行つたが、その結果は、汚染地区たる輪西町及び東町の右各有症率は対照地区たる高砂町及び水元町のそれよりいずれも高かつたこと、しかも、右室蘭地区における慢性気管支炎有症率は、他都市、殊に四日市市及び大阪市における同程度のSO2汚染地区のそれにより高率であつたこと、室蘭市新日鉄体育館地点におけるSO2濃度年平均値は、同四四年度及び同四五年度平均0.0345ppmであつたことが認められる。
他方、右調査は、被調査者の抽出方法が不明であり、<証拠>によれば、被調査者に直接問診して行われたものではなく、被調査者をして自記せしめる方法によりされたものであることが認められ、また、<証拠>によれば、前記中央公害対策審議会大気部会いおう酸化物に係る環境基準専門委員会は、前記提案にあたり、SO2濃度二四時間平均値0.04ppm以下、一時間値0.1ppm以下にすれば年平均値はおおむね、0.012ないし0.015ppmに押えることが可能であると判断していたものであることが認められる。
したがつて、右<証拠>をもつては、いまだ右SO2に係る環境基準の信用性はないものとし、かつこれと異なつた基準を設けるのが相当という証拠とするに足りない。
もつとも、<証拠>によれば、大阪府立成人病センター清水忠彦らは、同三九年及び同四〇年に大阪市内において慢性気管支炎症状の調査を行つたが、その結果、咳、痰の自覚症状についてのアンケート調査の回答とBMRC方式に基づく面接による問診とはかなりよく一致した旨の成績を得たことが認められるが、しかし、同証拠によれば、症状がそれほど長く続いていない群では、アンケートと問診とでかなりの不一致がみられ比較的に固定した症状の場合にはじめて一致率が高くなるものであることが認められるから、やはり右室蘭市における調査をもつて、直ちに他の調査結果と対比するには不十分といわなければならない。
(ⅱ) <証拠>によれば、旭川市は、北海道大学医学部公衆衛生学教室教官(当時)渡部真也らの指導の下に、昭和四八年三月から同年四月までの間、旭川市豊岡地区及び春光地区においてBMRC方式による呼吸器症状調査を行つたが、その結果は、いおう酸化物濃度が高い地区ほど慢性気管支炎有症率の高い傾向にあること、寒冷地住民は、温暖地住民に比べ、呼吸器系にとつて不利な状況にあり、大気汚染に対する感受性が高まつた状態にあるものと推測できる、とするものであつたことが認められる。
しかし他方、<証拠>によれば、右調査は、BMRC方式では調査対象からの調査客体の抽出を無作為により、かつ調査対象地区に過去三年以居住する四〇歳以上六〇歳未満とすることが相当としているのに、調査客体を右地区に二年以上居住する者全員としたものであり、また、被調査者に直接面接問診して行われたものではなく、被調査者をして調査票に自記せしめこれを回収する方法によりされたものであり、<証拠>によれば、右調査においては喫煙による標準化を行つていないものであることが認められる。
したがつて、<証拠>をもつては、やはりいまだ右SO2に係る環境基準の信用性はないものとし、かつこれと異なつた基準を設けるのが相当とすることを認める証拠とするには足りない。
(ⅲ) <証拠>によれば、胆振西部医師会は、昭和四七年八月伊達市長和地区(若生を除く。)、関内地区(志門気、喜門別、館山を除く。)、稀府地区(北稀府を除く。)においてBMRC方式による呼吸器症状調査を行つたが、その結果は、慢性気管支炎の有症率は、長和地区男8.3パーセント、女3.3パーセント、関内地区男6.4パーセント、女2.2パーセント、稀府地区男5.1パーセント、女2.2パーセントとなつたことが認められる。
しかし、右調査は、調査客体の抽出方法が不明であり、かつ<証拠>によれば、右調査は、BMRC方式では行うべきこととされている直接面接問診を行わなかつたものであること、それがSO2による大気汚染を原因とするものか否かの解析は行わなかつたものであることが認められる。
したがつて、<証拠>をもつては、いまだ右SO2に係る環境基準の信用性はないものとし、かつこれと異なつた基準を設けることを相当とすることを認めるに足りる証拠とするには足りない。
(ⅳ) <証拠>によれば、名古屋大学医学部内科学教室教官梅田博道は、渥美郡保健衛生推進協議会の委託により、昭和五二年九月八日から同年九月一六日までの間のうち実六日間に、田原町及び渥美町において、呼吸器系健康調査をしたが、それは対象を先きに同四六年から同五〇年にかけて肺機能検査を受けた住民の中から世帯単位で無作為に抽出した四〇歳以上(同四六年当時)の住民一四一八人としたもので、受診率7.8パーセント(九六二人)、内訳田原町65.6パーセント(六二七人のうち四一一人)、渥美町69.7パーセント(七九一人のうち五五一人)であり、自覚症状の面接問診、肺機能検査(努力性肺活量、肺活量比、一秒量、一秒率等)、胸部X線検査などの方法による臨床総合診断において、慢性閉塞性肺疾患(慢性気管支炎、肺気腫、気管支ぜん息)及びその疑いとしたものは、3.95パーセント、内訳田原町3.89パーセント、渥美町3.99パーセントであつて、両町間で殆んど差がなく、かつ右発生頻度は、かなり低率であると結論づけられたことが認められる。
また、<証拠>によれば、名古屋大学医学部公衆衛生学教室教官山田信也ら六名は、前記渥美郡保健衛生推進協議会により設けられた渥美郡における健康増進に関する委員会からの委託により、同五二年一〇月から同五三年三月までの間前記梅田報告(<証拠>)を含む調査資料を基に、渥美、田原両町民の呼吸機能の低下のスピードに差があるか、自覚症の推移に差があるか、地域的な大気汚染の程度との関連があるか、の検索を目的として、疫学的解析を行つたが、その結果は、同四六年度と同五二年度との比較では、呼吸器症状は同五二年度で増加の傾向があること、両年度の比較では一秒率の低下の程度は、田原町より渥美町の方で大きいこと、渥美町の男女の気管支ぜん息死亡が多い傾向がみられ、いおう酸化物量を指標とした場合、周辺地域からの大気汚染の広がりと渥美半島での大気汚染とが重なつた経過が過去に存在し、全体としていおう酸化物量が低下していくなかで、相対的に低い地域よりも、相対的に高いあるには中程度の地域において慢性閉塞性肺疾患、ぜん息様症状の有症者率が高い傾向がみれら、相対的に高い地域のうち半島西北部の地域、すなわち渥美町中山、同小中山にやや目立つ傾向がみられ(二酸化鉛法によるいおう酸化物量mgSO3/100cm3PbO2/day、渥美町小中山においては同四六年度年平均1.03、年間最高値1.90、田原町役場においては同四六年度年平均0.57、年間最高値0.70。)、これらのことから気管支ぜん息、ぜん息様発作の症状に地域的にやや偏つた傾向がみられ、過去の大気汚染の経過との関連について疑問が感じられるとする結論を導いたことが認められる。
したがつて、これらの証拠によれば、SO2による大気汚染が住民の健康に影響を与えることは窺えるが、同証拠によれば、右山田信也らにおいては、右疫学的解析においては、右資料における住民の受診率が低いことから全体を推定するには統計的な確度が落ちることはいかんともし難く、調査の精度をあげる余地のあることを承認していることが認められるし、もともと右渥美町小中山における同四六年度二酸化鉛法によるいおう酸化物量同四六年度年平均1.03mgSO3/100cm3PbO2/dayは、現行環境基準に比較して、これを超える値であることから考えると、いまだ<証拠>をもつては、右SO2に係る環境基準の信用性はないものとし、かつこれと異なつた基準を設けることを相当とすることを認めるに足りる証拠とするには足りない。
(イ) 植物に対する影響について
(10) 他の火力発電所における被害状況からの推定について
(ア) 北陸電力株式会社富山火力発電所及び富山共同火力発電株式会社富山共同火力発電所、中部電力株式会社尾鷲三田火力発電所及び渥美火力発電所、関西電力株式会社多奈川第一火力発電所の場合について、
原告らは、現に操業中の他の火力発電所の大気汚染被害状況から本件火力発電所の操業による大気汚染の被害状況を推測しうるものであり、これらの他の火力発電所の操業により住民の健康被害及び農作物並びに林産物の被害が現に発生しているものであるから、本件火力発電所の操業により、これらと同種同程度の被害の発生を推定しうる旨主張するところである。
しかし、このような推定が妥当性を有するためには、少なくとも、発電所の排煙排出諸元(排煙排出量、排煙中のSO2等の含有量、煙突高さ等)、周辺の気象条件(風向、風速、大気安定度、海陸風の各内容等)、地形条件、立地環境条件(他の煙源との複合等)において相似性が存すること並びに他の火力発電所周辺の被害がその操業に起因することの証明が存在することを必要とするものと考えられ、単に発電所の規模の類似性の存在のみをもつては、かかる推定を妥当とすることはできない。
(a) 中部電力株式会社渥美火力発電所について
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
中部電力株式会社渥美火力発電所第一、二号機は、それぞれ昭和四六年六月、同年一〇月操業を始めたが、その出力は、それぞれ五〇万キロワット、煙突高さ一五〇メートルであり、使用燃料のいおう分は、同四六年から同四八年にかけては1.0ないし1.7パーセント重量比、同四八年から同四九年にかけては0.8パーセント重量比であつた。その周辺地区の気象条件の特徴は、海から陸地へ向う西ないし北西の風が非常に多いものである。そして、同地周辺地区は右第一、二号機の操業開始以前の大気汚染状況の調査において既に二酸化鉛法によるいおう酸化物濃度年間(同四五年六月ないし同四六年六月)平均値0.5SO3mg/100cm3/PbO2/日であつて、名古屋南部、三重県四日市、元浦地区の汚染の影響を受けていたものと考えられており、また、右操業開始後においては、渥美町役場地点におけるSO2観測で、同四六年においては、一時間値最高0.14ppm、一日平均最高0.06ppmを観測し、同四七年においては一時間値最高0.21ppm、一日平均値最高0.045ppmを観測していたものである。以上の事実が認められる。
したがつて、少なくとも右排煙SO2排出条件、立地環境条件は、渥美火力発電所の大気汚染被害をもつて、本件火力発電所のそれを類推するのに妨げとなるものというべきである。
(b) 中部電力株式会社尾鷲三田火力発電所について
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
中部電力株式会社尾鷲三田火力発電所一号機は昭和三九年七月、二号機は同年九月それぞれ操業を開始したが、出力は、それぞれ三七万五〇〇〇キロワット、煙突高さは一二〇メートルであり、使用燃料のいおう分、重量比は、同四七年一〇月ころまでは1.4パーセント以上、同四八年一月以降1.0パーセントであつた。そして、尾鷲地区における大気のSO2濃度の推移は、年平均値において、昭和四二年度0.003ppm、同四三年度において、0.010ppm、同四四年度において、0.013ppm、同四五年度において、0.012ppm、同四六年度において、0.007ppm、同四七年度において0.007ppmであつたのである。また、尾鷲地区は約四五度の角度で開口している尾鷲湾と周辺を急峻な山陵(高さ約三〇〇ないし七〇〇メートル)に囲まれた盆地状をなす地域とから成るものであるが、尾鷲三田火力発電所は、その尾鷲湾の奥部に位置し、これから右周辺の山稜までは約三ないし五キロメートルであるごとき地形である。以上の事実が認められる。
したがつて、尾鷲三田火力発電所の場合は、本件伊達火力発電所と右排煙SO2排出条件、地形条件において著しく差異があることが明らかである。
他方、尾鷲地区において大気中SO2汚染に基づくと考えられる被害があるとしても、それは前示のごとき現行環境基準を超えるごとき大気条件下におけるものであるから、このことをもつて、環境基準以下においても同程度の健康及び植物被害が発現するものと断定することはできないものといわなければならない。
(c) 北陸電力株式会社富山火力発電所及び富山共同火力発電株式会社富山共同火力発電所について
本件弁論の全趣旨によれば、北陸電力株式会社富山火力発電所一号機(出力一五万六〇〇〇キロワット)は昭和三九年八月、同二号機(出力一五万六〇〇〇キロワット)は同四一年二月、同三号機(出力二五万キロワット)は同四四年一一月に、富山共同火力発電株式会社富山共同火力発電所(出力二五万キロワット)は同四六年一月にそれぞれ操業を開始したが、いずれも煙突高さは一六〇メートルであり、使用燃料中いおう分・重量比は同四七年まで1.8パーセントであつたことが認められ、また、その所在する富山市北部は臨海工業地帯を形成してSO2複合煙源が存することは明らかな事実である。
<証拠>によれば、同四〇年以降同四七年までの間において富山市草島地区、岩瀬地区において住民の健康被害が発生したことが窺われるけれども、その排煙SO2排出条件、立地環境条件において本件伊達火力発電所の場合と差異が存するから、このことから、本件伊達火力発電所の場合においても同程度の被害が生ずるものと断定することはできないものである。
(d) 関西電力株式会社多奈川第一火力発電所について
<証拠>によれば、関西電力株式会社多奈川第一火力発電所一号機(出力七万五〇〇〇キロワット)は昭和三一年四月、同二号機(出力七万五〇〇〇キロワット)は同年一一月、同三号機(出力一五万六〇〇〇キロワット)は同三八年四月、同四号機(出力一五万六〇〇〇キロワット)は同年一〇月それぞれ操業を始めたのであるが、その煙突高さは、同四七年一月まではそれぞれ七六メートルであつたが、同年二月以降一五〇メートル(四缶集合型)となつたものであり、使用燃料中いおう分・重量比は、同四三年においては2.0パーセントであつたものであることが認められる。
<証拠>によれば、日本科学者会議近畿ブロック岬町公害調査団が推定したSO2濃度年間平均値は、深日町地区においては同四二年0.031ppm、同四三年0.029ppm、同四四年0.036ppm、同四五年0.032ppm、であつたことが認められる。
そして、<証拠>によれば、大阪府衛生部の同四七年における調査において、大阪府泉南郡岬町に慢性気管支炎有症率に有意の差がみられたことが認められ、<証拠>によれば、谷山鉄郎らの同四九年及び同五〇年の調査において、大阪府泉南郡岬町にさといも及びやまももの被害がみられたが、岬町におけるSO2濃度(PbO2法)は、同四九年度0.28mgSO3/100cm3/日、同五〇年度0.18mgSO3/100cm3/日であつたことが認められる。
また、<証拠>によれば、岬町地域は四つの谷がそれぞれ南北にとおり、うち一つを北・大阪から南・和歌山に通じる国道二六号線が抜けており、北端臨海部に多奈川第一火力発電所があり、これより南方約八キロメートルの地点に住友金属和歌山製鉄所が位置していることが認められる。
そうしてみると、多奈川第一火力発電所の場合は、本件伊達火力発電所と比較して、右排煙SO2排出条件、地形条件、立地環境条件において差異があることが明らかであるから、このことから、本件伊達火力発電所の場合、同程度のSO2による大気汚染及び被害が生ずるものと断定することはできないものといわなければならない。
(イ) 四日市の場合について
四日市市の立地する中部電力株式会社三重火力発電所を含む大容量重油ボイラーから排出された排ガスにより、付近住民に呼吸器系の疾病を生じたことは、既に広く明らかな事実である。
しかし、中部電力の右施設のみをとりあげてみても、それは昭和三〇年一二月から同三六年一〇月にわたり建設されたものであるが、当初は煙突高さも57.3メートル程度の低煙突であつたものであり、同三四年から同四二年までの間にわたる期間のその使用燃料についても、いおう含有率3.0ないし2.1パーセントのものであつたのであつて、したがつて、磯津地区においては、同三六年から同四二年までの間の大気中SO2濃度は、五月から一〇月までの期間平均値においても旧基準値を上まわり、一一月から翌年四月までの平均値は旧基準値の二ないし三倍近い値を恒常的に示していたものであることもまた明らかなのである。
そうしてみると、四日市の場合と本件伊達火力発電所の場合とでは排煙拡散の条件が全く異なつているものといわなければならないから、四日市の場合をもつて、本件伊達火力発電所における大気汚染及びその被害を類推することは当を得ないというべきである。
(二) 本件発電所の温排水等による海洋汚染について
(1) 伊達地方の海洋
(ア) 原告らの漁業内容
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(a) 伊達漁協関係
伊達漁協漁業権海域において、同漁協に所属する原告らの営む漁業の主要なものは、沖合約三〇〇〇メートル及び一〇〇〇メートルの海底に設置する底建て網(三〇〇〇メートルに七か統、一〇〇〇メートルに三二か統)、汀線近くに設置される浮建て網(七三か統)各漁業及びほたて貝等の養殖漁業であり、昭和五二年七月当時の漁場の利用状況は前記で認定したとおりであつたが、同年ころより、養殖ほたて貝の成貝及び半成貝が、原因がわからないまま大量にへい死し、同五四年ころには、ほたて貝養殖漁業のみでは漁業経営が成立つていかなくなるという状況に陥つたことにより従来のほたて貝養殖漁場は刺網漁業やわかめ養殖漁場へと徐徐に変更されつつある。
右底建て網及び浮建て網により漁獲される漁種は、寒流系のものとしては、にしん、さけ、ます暖流系のものとしては、いわし、さば等であり、汀線近くにおいては、ちか、こなご、はたはた、ふくらぎ等も少量ながら漁獲される。また、大幅に縮少された養殖ほたて漁業のほかに、地蒔きほたて、天然ほたて漁業は従前どおり行われており、天然こんぶ漁業も若干行われている。なお、現在までのところ、こんぶ、わかめ及びのりの養殖漁業は殆んど行われていない。
(b) 有珠漁協関係
有珠漁業権海域において、同漁協に所属する原告らが営む漁業の主要なものは、突き磯漁業である。これは、有珠地先にのみ特有なもので、有珠地先海域の海底の多くが岩場であり、透明度が高いことによる。右突き磯漁業に加えて、伊達地先と同様、底建て網、浮建て網、刺網漁業も行われているが、漁獲される魚種は伊達地先の場合と変らない。
養殖漁業としては、のりの養殖が盛んになりつつあり、伊達漁協の場合と同様、ほたて貝養殖漁業の縮少に伴い、これに代わろうとしている。また、あわび、うに、まつも、ますの養殖漁業も逐次研究開発されつつある。
なお、有珠漁協漁業権海域における昭和五二年七月当時の漁場利用状況は、前記で認定したとおりであつたが、伊達漁協の場合と同様、ほたて貝養殖漁業の縮少に伴い、同漁場が底建て網漁場に変りつつある。<中略>
(2) 本件発電所の温排水の排出と拡散
(ア) 温排水の排出
(a) 温排水の排出の仕組み
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
本件火力発電所における発電装置は国内の火力発電所で一般に用いられていると同様の型式のものであり、この型式のものでは、ボイラーで重油又は原油を燃焼させて水を水蒸気に変え、その蒸気をタービンの羽根に吹きつけて羽根を回し、羽根の回転によりこれに直結する発電機を回して電気を起こす。羽根を回した後の水蒸気は、冷やされて水に戻つてボイラーに入り、再び水蒸気となる。この水蒸気を冷やす水を冷却水といい、その装置を復水器という。
ところで、本件発電所においては、復水器に用いられる冷却水は、海から取水されるが、冷却水が復水器を通過するとき、水蒸気から熱を奪うため温度が高くなる。そして、この昇温した冷却水は、後記認定の温度低減施設である開きよ式放水路施設を経由して、同水路先端の公共水域に接して設置されている透過ブロック堤において周辺自然海水と混合したうえ、放水口から公共水域に排出される。
(b) 温度低減施設
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
被告は、後記(第四、二3(一)(1)(2))認定の公害防止協定及び漁業補償協定等に基づき、本件発電所から排出される温排水が近隣海域における漁業及び水産生産に悪影響を及ぼさないよう考慮し、温排水の取水温度との温度差を縮小するべく、次のとおりの温度低減施設を設計、設置した。
(ⅰ) カーテンウオール方式による深層取水施設
海水の温度は、日照の影響により海水の表層部分は深層部分に比較すると温度が高くなるため、復水器冷却水の取水にあたつては、できるだけ温度の低い深層部分より取水すれば、海水表層温度と温排水温度との差が小さくなる。この理を応用して、本件発電所の別紙図面C―1の①位置に、別紙図面C―2のようなコンクリート構造物を設置し、海表層部分の海水の流入をしや断すべく設置した施設が、カーテンウオール方式による深層取水施設である。
本件発電所においては、右施設によつて、海表面下3.5メートルから6.5メートルの層より低温海水を取水することとしているが、昭和五四年五月七日ないし九日被告が行つた本件発電所一号機温排水関係の実態調査によれば、取水口前面温度(水深一メートル、別紙図面C―2中の②の場所における温度)と復水器入口温度(別紙図面C―1中の③の場所における温度)との差は、0.6度Cから2.1度Cであつたとの結果が報告されている。この温度差が、深層取水による効果と考えられる。
右のような効果は、海表層と海深層の温度差が最も顕著な夏季において特に期待されるが、他面、被告も自認するごとく、右のような水温形成は気象、海象条件に支配されるため、年間を通じての安定的な温度低減対策としては、その確実性に欠けるものといわざるをえない。
(ⅱ) 冷海水混入用バイパス施設
復水器を通つたために昇温した冷却水の温度を低下させる一つの方法として、冷海水を混入する方法がある。すなわち、本件発電所においては、海深層より取水した海水の一部をバイパス施設で分岐させ、これを復水器を通過させずに、復水器を経て昇温した冷却水に直接混入させ、温度低減を図ることとした。これが、冷海水混入用バイパス施設である。
(ⅲ) 開きよ式放水路
昇温した冷却水を大気にさらすと、大気がその熱を奪う。このため、放水口に至るまでの間、できるだけ昇温した冷却水を外気にさらしておくことが温度低下に有効である。本件発電所においては、この理を利用して、別紙図面C―1中の④の場所に別紙図面C―3―1、C―3―2のとおりの二〇〇メートルの長さを有する開きよ式放水路を設置した。
昇温した冷却水は、右開きよ式放水路を通過することによつて、大気への熱放散によりその温度を低減させるが、それがどの程度のものであるかは、大気温度等気象条件に左右されるため、確定的に計算しうるものではない。
(ⅳ) 透過ブロック堤施設
被告は、復水器冷却水の温度低減施設として、当初、前記カーテンウオール方式による深層取水施設、バイパス施設及び開きよ式放水路施設のほかに、右開きよ式放水路施設の一環として、右放水路の途中に溢流堤というせきを設け、また、右放水路末端に有孔しや堤という施設を設けることとしていた。この溢流堤及び有孔しや堤は、開きよ式放水路を流れる昇温した冷却水の流速を減じて放水路内の滞留時間を長びかせると同時に、これらの施設によりかくはん作用を生ぜしめ、そのかくはんによる冷却水の蒸発の促進を図ることを主な目的として設計されたものであつた。しかるに、前記認定のごとく、カーテンウオール方式による深層取水施設及び開きよ式放水路施設によつては、必ずしも安定的な温度低減効果を期待することができないことが判明した。そこで、右有孔しや堤及び溢流堤に代えて右開きよ式放水路の末端の別紙図面C―1中の⑤の場所に別紙図面C―3―1記載のとおりの構造の施設を設置し、その名称を透過ブロック堤と変更した。
この施設は、復水器を通過して昇温した冷却水を、開きよ式放水路を経て放出する際、別紙図面C―3―1、C―3―2記載のゲートの操作によりこれを毎秒四、五メートルの流速を付加し、もつて、右透過ブロック堤内への周辺自然外海水の流入を促進させることにより、右冷却水と自然外海水を混合希釈させて温度の低減を図ろうとするものである。
被告は、右透過ブロック堤を設計するにあつて、昭和五二年五月、電中研に依頼してその温度低減効果についての水理模型による実験を行つたが、それによれば、復水器冷却水の放流に伴う外海水の連行加入現象は、放出流速が速いほど連行加入量は増加すること、海象(静穏時、波浪時、潮位)、放出流速等の条件によつて差異はあるものの、1.4度Cから3.0度Cの温度低減効果が見込まれること、との結果が出ており、また、同五三年二月、右電中研の実験結果をもとに、更に追加して、水理模型実験による水理的検討を加えた被告の技術研究所における追試によれば、低潮位時において四度C程度の温度低減効果が見込まれるとの報告がされている。
更に、本件発電所一号機運転後の三回にわたる被告の実態調査(同五三年一〇月、同五四年二月及び同年五月)によれば、透過ブロック堤の温度低減効果は、4.1度Cから5.4度Cであつたとの結果が報告されている。
なお、透過ブロック堤は、前記のようにその築造目的として、周辺自然外海水の同堤内への流入を促進するために設けられたものであつて、右外海水の流入を促進するためには、復水器冷却水の放出流速を速めることが必要であることから、その流速いかんによつては、同堤前面の海底地形に変化をもたらすおそれがないわけではない。この点について、被告の依頼により水理模型を使用して実験予測した同五二年五月の電中研の前記水理学的検討においても、透過ブロック堤における水温の効果的低下を図ることと同堤内前面の海底地形や流れの安定を図ることとは、流れのメカニズムの点から相反するものであることが指摘されていた。しかし、他方において、右実験予測によれば、水温低下の安定的効果を重視した場合(放出流速毎秒4.1メートルから5.2メートル)においても、透過ブロック堤前面の海底地形の変化は、汀線方向幅五〇メートル、沖合方向幅六〇メートルの範囲内におさまり、洗掘深さも3.9メートルから3.7メートル程度にとどまるものである旨予測結果が報告され、また、本件発電所の運転開始に伴う温排水の排出により、海底地形にどのような変化をもたらすかについても留意してされた被告の前記実態調査においても、次のとおりの結果が報告されている。すなわち、右調査は、本件発電所一号機(運転出力三五万キロワット、冷却水量毎秒一一トン)運転開始前、つまり温排水排出前に行われた(同四四年九月一四日、同四六年八月二二日及び同五〇年一二月一三日)本件発電所前面海域地形の調査結果と右一号機運転開始後、つまり温排水が排出されるようになつてから以降に行われた(第一回目――同五三年一〇月二六日、第二回目――同五四年二月二七日、第三回目――同年五月八日)右同内容の調査結果とを比較対照して、本件発電所から排出される温排水の海底地形に与える影響の有無、程度を明らかにしようとするものであつたが、その結果は、別紙図面C―12「海底地形の経時比較図」のとおり、第一回目の調査において透過ブロック堤中央部沖合五〇メートル内の海域にみられた一メートルから二メートルの洗掘状態は、第二回目の調査時においては発電所運転開始前の状態にほぼもどつていたこと、その状態は、第三回目の調査においても、おおよそそのまま維持されたこと、右海域より沖合側の海底地形についても、一部に多少の起伏がみられたが、おおむね運転開始前と同様の傾向にあつたこと、以上であつた。
そして、被告は、前記電中研の水理模型実験予測結果及び右実態調査結果を踏まえ、本件発電所の温排水によつては、現在までのところ海底地形に著しい変化をもたらしてはいないとの評価を下している。
(c) 温排水温度と温排水量
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(ⅰ) 本件発電所においては、復水器冷却水として、前記カーテンウオール方式による深層取水施設(取水口)から、発電機二基合計で毎秒二二トン、一日約一九〇万トンの海水が取水される。
(ⅱ) 右取水された冷却水が復水器を通過したとき、その昇温幅(温度差)は、夏季で約九度C、冬季で約一四度Cとなる。
このように、夏季と冬季とで復水器冷却水の昇温幅が異なるのは、海水の温渡が低い冬季において取水した二二トン全部の海水を冷却水として使用すると、過冷却を招いてタービンの保安上好ましくないので、復水器を通過する冷却水の水量を絞るため、その水量減少に伴い、それに対応して昇温幅が大きくなるものである。
なお、冬季において、右のように水量を絞る場合、その絞つた水量相当分を前記バイパス施設を通過させて、復水器を経て昇温した冷却水に混入させる結果、結局において、夏季、冬季を通じて復水器冷却水の昇温幅は約九度Cとなる。
(ⅲ) 右のように約九度C昇温した復水器冷却水毎秒二二トン(一日約一九〇万トン)は、前記認定のごとく温度低減施設として設置されている開きよ式放水路に入り、前記ゲートの操作により毎秒約四、五メートルの流速を付加されたうえ、透過ブロック堤内に放出される。
(ⅳ) 右昇温した冷却水は、透過ブロック堤内において、連行加入されてくる周辺の自然外海水と混合希釈され、同堤内から公共水域に排出される。
ところで、右約九度C昇温した毎秒二二トンの冷却水を前記公害防止協定及び漁業補償協定等で取り決められた温度差夏季五度C、冬季七度Cとするためには、これまでの前記実験や実態調査の結果によれば、透過ブロック堤内で、夏季毎秒約七トン、冬季約一八トンの自然外海水を連行加入させることが必要であると見込まれている。したがつて、本件発電所においては、右公害防止協定等で定められたとおりの運用を行おうとすれば、夏季において温度差五度C、水量毎秒約二九トンの、冬季において温度差七度C、水量毎秒約四〇トンの温排水が、公共水域に排出されることになる。
(d) 被告の公害防止協定等違反について
原告らは、被告は、伊達漁協及び伊達市とそれぞれ漁業補償協定、公害防止協定を締結し、放水口における温排水について、その水量を毎秒二二トン以下、温度差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とすることを約したにもかかわらず、温度低減施設としての有孔しや堤を透過ブロック堤に変更したことにより温度差夏季五度C以下、冬季七度C以下を遵守するためには温排水量夏季四〇トン、冬季二九トンとせざるをえず、また、逆に、温排水量二二トン以下とするためには温度差9.3度Cとせざるをえない事態となつたことを指摘して、右は漁業補償協定及び公害防止協定違反である旨主張し、他方、被告は、被告が右公害防止協定等において約した内容は、復水器冷却水として毎秒二二トン以下の海水を取水すること及び復水器を通過して昇温した右二二トンの冷却水を、放水口において、温度差夏季五度C以下、冬季七度C以下に低減して公共水域に排出することにあり、それ以上に、原告ら主張のごとき約束をしたものでない、すなわち、公害防止協定等においては、温排水温度は、原告ら主張のごとき放水口(公共水域と接する位置)で測定することを約したが、温排水量については、復水器出口(開きよ式放水路始端)において、排出熱量の計算に必要な蒸気熱量と真空度及び冷却水の温度上昇を測定して計算により算出する旨約したものであるから、透過ブロック堤の設置によつても、なんら影響を受けないものである旨主張する。よつて以下、この点につき、考えることとする。
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(ⅰ) 被告は、昭和四七年六月三〇日、伊達漁協との間で漁業補償協定を、また、同年七月一日、伊達市との間で公害防止協定を締結し、更に右協定運用のための協定細目書を取り交わしたが、右漁業補償協定並びに公害防止協定及び協定細目において、温排水に関し取り決められた事項は、次のとおりである。
① 温排水の水量は、二基合計で毎秒二二トンとすること(漁業補償協定六条(1)、公害防止協定九条(1))
② 復水器冷却水の取水温度と排水温度との差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とすること(漁業補償協定六条(1)、公害防止協定九条(1))
③ 水量については、放水口における流量を月一回以上測定記録すること(公害防止協定一六条(1))、水量の測定は、排出熱量の計算に必要な蒸気熱量と真空度及び冷却水の温度上昇を測定して記録すること(協定細目三条)
④ 復水器冷却水の温度については、自動温度計を取水口前面と放水口に設置して常時測定記録すること(公害防止協定一六条(1))、測定場所のうち取水口前面については水深一メートルの位置とし、放水口については公共水域とすること(協定細目三条)
⑤ 温排水の影響範囲を最小限度にとどめるため、カーテンウオール方式による深層取水施設、溢流堤又は有孔しや堤並びに冷海水混入のためのバイパス施設等を設置すること(公害防止協定九条(1))
⑥ 温排水の排出にあたつては、漁業に悪影響を及ぼさないよう排出方法を考慮し、海底に変化が生じないようにすること(漁業補償協定六条(2))
そして、右⑤については、同五〇年四月一〇日右公害防止協定の一部改訂に伴い、温排水の影響範囲を最小限度にとどめるため、カーテンウオール方式による深層取水施設、溢流堤及び透過ブロック堤並びに冷海水混入のためのバイパス施設等を設置すること(公害防止協定九条(1))と改訂された。
また、右漁業補償協定及び公害防止協定等が締結された同四七年当時、被告は、温排水の温度低減対策として、伊達漁協がその総会の決議をもつて漁業権を放棄した沖合方向五〇メートル汀線方向一〇〇メートルの海域に、海底の変化を伴わないようななんらかの温度低減施設を築造し、その築造されるべき施設の先端において夏季五度C、冬季七度Cの温度差を遵守すべきことを考慮していた。そして、右温度低減施設としては、カーテンウオール方式による深層取水施設、冷海水混入のためのバイパス施設、開きよ式放水路、溢流堤、及びコンクリート積保護工を有する放水口等の施設を設置する計画を有し、その旨を伊達漁協等にも説明、開示していた。ところで、被告が右設置を計画していた放水口施設においては、その構造上多かれ少なかれ周辺外海水が流入するものであり、右外海水の流入量は海象条件によつて左右され、いかなる程度の外海水が流入するかを測定することは非常に困難であつた。
なお、被告は、右公害防止協定等を締結した当時、その相手方である伊達市及び伊達漁協等に対し、右協定上温排水温度と温排水量の測定地点が異なるものであることを説明せず、まして、原告ら漁民に対しては、右の点に関する説明と内容の周知をはからなかつた。以上の事実が認められる。
右事実によれば、右漁業補償協定並びに公害防止協定及び協定細目において取り決められた本件発電所の温排水量及び温度差の測定地点に関する合意内容は、原告ら主張のごとく、温排水温度と温排水量を同一場所、すなわち、放水口末端の公共水域に接する場所において測定すると約されたものとは解し難く、むしろ、被告主張のごとく、温排水温度は右放水路末端において、温排水量すなわち、復水器冷却水量については計算により確実に測定することが可能な復水器出口と開きよ式放水路始端において、蒸気熱量と真空度及び冷却水の温度上昇を測定して計算により算出する旨約されたものと解することができる。
以上によれば、被告が、前記のとおり透過ブロック堤を設置したことによつて、公共水域に排出される温排水量が毎秒二二トンを超えることになつたとしても、右公害防止協定等においては公共水域地点における温排水量の規制はしていないことから、そのこと自体、協定等違反として被告を問責することはできないものといわなければならない。
(ⅱ) しかしながら、<証拠>によれば、被告は、右公害防止協定等を締結した昭和四七年当時においては、復水器を通過することによつて夏季約八度C、冬季一四度C昇温した毎秒二二トンの冷却水は、当時設置を予定していた温度低減施設によつて、結局温度差夏季五度C、冬季七度Cに低減され、毎秒二二トンの温排水として現に公共水域に排出することが可能であるとの認識を有していたものであり、かかる基本的認識に立つて、右公害防止協定等の締結交渉、説明にあたつていたものであるところ、同四八年三月、本件発電所における機器の仕様が確定したことに伴い、復水器を通過した後の冷却水は約九度C昇温することが判明し、加えて、その後の調査実験により、カーテンウオール方式による深層取水施設、溢流堤及び有孔しや堤を含む開きよ式放水路施設によつては所期の温度低減効果が安定的に得られないことが判明するところとなつた。その結果、被告は、右温度低減施設に改良を加えることを余儀なくされ、従前の有孔しや堤を改善してこれを透過ブロック堤に変更した。そして、右変更にあたつて、被告は、伊達漁協及び伊達市等に対し、右変更をするに至つた経緯、理由及び変更の結果、従前といかなる点において違いが生じるか等については、格別の説明は加えず、単に、同五〇年四月一〇日の公害防止協定の改訂の際に、その九条(1)の文言を有孔しや堤から透過ブロック堤に変更したにとどまつた。以上の事実が認められる。
右によれば、被告の当初の予測、すなわち、温度差夏季五度C、冬季七度C、排水量毎秒二二トンの温排水を現に公共水域に排水することが可能であるとの予測は、その後、右温度差を保つて排出するためには、透過ブロック堤内において、夏季毎秒七トン、冬季毎秒一八トンの周辺自然海水を連行加入せざるをえなくなるという現実的事態に直面して、これを維持できなくなつたことは明らかであり、これをもつて、前記漁業補償協定及び公害防止協定等に実質的に違反する事態が生じたと評価するかどうかはさておいても、温排水温度と並んで伊達・有珠地先海域の漁業に影響を及ぼすか否かの最も重要な判断要素の一つである温排水量に関し、被告のいわゆる見込み違いが生じたと評価されてもやむをえないところである。反面、このことは、自己の生活基盤として漁業を営み、本件発電所から排出される温排水が漁業に悪影響を与えるのではないかとの危惧感を抱いている原告らの立場からみると、毎秒二二トンの温排水が毎秒夏季四〇トン、冬季二九トンに増進したとの事実に加えて、前記認定のとおり、この点について原告ら漁民は、被告からなんらの説明を受けていなかつたとのことから、本件温排水によつて一層右漁業への悪影響が拡大し、従前から漁業被害は生じないと説明してきた被告の言動を全く信じ難いものと考えるに至つたことは、無理からぬことであつたといわなければならない。
さすれば、本件発電所において夏季温度差五度C、毎秒約四〇トンの、冬季温度差七度C、毎秒約二九トンの温排水が排出されること自体は、公害防止協定等に違反しないとしても、前記被告の予測に齟齬が生じたとの点については、被告が明言する住民の理解を得たうえで本件発電所の建設にあたるとの基本的姿勢の観点からすれば、被告としては、透過ブロック堤設置の段階あるいは公害防止協定改訂の時点で、伊達市、伊達漁協及び原告ら漁民に対し、その経緯、内容の詳細を説明し、その了解を得る努力をすべきであつたといわなければならない。
なお、原告らは、被告は、公害防止協定等において、温排水の排水により海底地形に変化を生じさせないよう配慮する旨約しているにもかかわらず、有孔しや堤から透過ブロック堤に変更した結果、温排水の排出により約一〇〇メートルにわたつて海底洗掘が生ずるとして、この点からも被告の公害防止協定等違反を主張するが、本件全証拠によつても、原告ら主張のごとき洗掘が生ずるとの事実を認めることはできず、かえつて、前記(b)(ⅳ)で認定判示したとおり、本件発電所からの温排水の排出による海底地形の変化は局所的にとどまるとの調査結果が存するとの事実に照らせば、原告らの右主張は、その前提を欠き採用することができないものといわざるをえない。
(イ) 温排水の拡散<中略>
(d) 本件発電所における温排水の拡散範囲について
本件発電所における温排水がどのような範囲に拡散するかの予測については以上認定判示のごとく、原告らの主張を認めるに足りるなんらの証拠も存せず、かえつて、右主張に反する拡散範囲を予測する前記平野式を採用して行つた漁業調査報告書及び被告が電中研に対し依頼してシミュレーション手法等を採用したうえ行つた電中研報告並びに被告の本件発電所一号機運転開始後の実態調査結果が存するところである。
もつとも、右平野式を採用しての漁業調査報告書の拡散予測結果については、右平野式自体に検討すべき問題点がある旨指摘されていることは前記認定判示したところであり、したがつて、右拡散予測結果については、これのみをもつて直ちに本件発電所における温排水の拡散範囲を推測する資料に供することは、いまだ不十分といわざるをえない。また、被告の行つた拡散予測のうち、最も新しい気象、海象観測結果を織り込んでシミュレーション手法によつて行つた昭和四八年三月の電中研報告を取りあげてみても、右手法自体は、温排水問題研究者間において一応の評価は受けているものの、今後実測結果との整合性等をチェックしながら、一層改良を加えていかなければならない研究途上の解析手法であること、実際の対象海域をシミュレートするいかに精緻な解析手法であつても、それはあくまで机上の計算により結論を導くものである以上、おのずと限界があり、被告自身も自認するごとく、実際の海の気象、海象が特異な現象を示す場合には、本件発電所の温排水が右手法による予測範囲を超えて拡散することもありうること、加えて、右電中研の予測は、本件発電所における復水器冷却水毎秒二二立方メートルが約九度C昇温した場合に、それがそのまま排出された場合を想定して予測計算を行つているものの、本件発電所においては、前記認定のとおり、現実には右約九度C昇温した冷却水が透過ブノック堤において自然海水と混合希釈され、夏季毎秒約四〇トン、温度差五度C、冬季毎秒二九トン、温度差七度Cとして排出されるものであること等、を考慮すれば、右電中研報告による予測結果をもつて本件発電所における温排水が右予測の範囲にとどまるとまでの断定をすることができないことは当然のことである。更に、被告による前記実態調査の結果についても、右調査はごく短期間の、しかも本件発電所一号機のみの運転に伴う温排水の拡散状況に関する調査であるところから、右調査結果に基づく数値を単純に二倍したものが一、二号機の運転が開始された場合の数値を正確に反映するものかは、なお疑問の存するところである。
しかしながら、他方、右電中研報告は、本件発電所建設途上における予測という制約された状況下において、その時点における最も有効とされる予測手法を採用し、実際の対象海域を可能な限りシミュレートすべく最新の気象、海象観測結果をインプットしてされたものであること、右予測の数値は、結果的にせよ、平野式を用いてされた漁業調査報告書による予測数値と大きく差異のあるものではなかつたこと、被告の前記一号機運転開始後の実態調査結果も、概括的には右電中研報告の予測結果を裏付けていること等を総合して考慮すると、右電中研報告による拡散予測結果を覆すに足りる予測実例、実態調査結果がない現時点においては、以下に検討すべき本件発電所の温排水による漁業等への影響を考察するにあたつては、右電中研報告による予測結果を参考としながら、その判断を加えていくことが相当であると考えざるをえない。<中略>
(4) 本件発電所の温排水等による影響について<中略>
(ⅲ) 温排水の排出による浮游幼生への影響
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
前記漁業調査報告書は、本件発電所から排出される温排水によつて、二度C昇温する海域に存する浮游幼生がどのような影響を受けるかについて、次のとおり影響予察を行つている。
すなわち、前記認定したとおり、伊達・有珠地先海域における浮游幼生の出現期間は、五月中、下旬から六月下旬までのおよそ三五日間と推定されるところ、この期間において浮游幼生に対しなんらかの影響を及ぼす可能性のある温度上昇の最小温度は二度C程度とみるべきであり、その昇温範囲は、前記平野式に基づく拡散予測方法によれば、水深二メートルで半径九〇メートルの半円扇形の範囲内である。そして、この水域の深度図からこの水域の水量を推定すると、それは約21×103m3ということになる。また、前記認定の北海道開発局による右海域沖合で行つた調査をもとに沖合部の水深0.1メートル及び二メートル各層における浮游幼生数を推定すると、昭和四二年から同四五年までの右各層における浮游幼生総数の平均値は二一個体と考えられる。そこで、これをもとに右約21×103m3中に舎まれる浮游幼生数を推算すると、それは約440×103個となる。更に、この数値をもとに、この水域が風向その他の要因で全体として二倍に拡大されることもありうること、浮游幼生は、二度Cから三度C程度の急激な水温の低下により高い死亡率を示すことが知られているところ、不測の事情により本件発電所の機能が右幼生の浮游期間中に休止し、右幼生に影響を与える程度の水温の急激な下降が引き起こされることもありうること、右440×103個の幼生のすべてが、付着稚貝になる可能性をもつ二〇〇ミクロン以上の殻長の幼生であること、その一パーセントが付着稚貝になることとの仮定に立つたうえで、温排水による二度C昇温域の海水に含まれる浮游幼生中、温排水によりなんらかの影響を受ける可能性のある付着稚貝数を計算すると、それは最大八八〇〇個体との概算推定をすることができ、これは、伊達・有珠地先海域における同四二年から同四五年までの平均採苗数の0.07パーセントに相当する。ところで、右概算推定数値は、前記のような種々の安全側に立つた仮定に基づいて計算されたものであるほか、幼生濃度が高い沖合部の幼生の個体数をそのまま沿岸部のそれに採用していること、幼生濃度が本件発電所放水口地点よりも高いと考えられるほたて貝漁業の主漁場が、長流川以東の距岸三〇〇メートル以上にあり、放水口地点から二〇〇〇メートル以上も離れていること等を考慮すれば、本件発電所から排出される温排水によつてほたて貝漁業に与える影響は、右数値よりも更に少ないものと考えられる。以上の事実が認められる。
<証拠>によれば、右水資協の影響予察について、同証人は、前記認定のとおり、水質協が本件発電所の温排水による二度C昇温域に存する浮游幼生数を概算推定するにあたつて用いた前記北海道開発局の調査資料のし意的取り上げ方及び概算推定根拠の欠落と誤謬を指摘するほか、右影響予察が、温排水による二度C昇温域に存する浮游幼生への影響を検討し、これをもつて足りるとすることは無意味なことである、すなわち、七度C昇温した温排水が右影響予察のいう浮游幼生への最小影響温度である二度Cまでに下降するには、その昇温域において、浮游幼生を含んだ温排水の約2.5倍の水量の海水が連行加入し、温排水と混合希釈するという過程を経るのであるから、右連行加入する海水中に含まれる幼生は、急激な昇温等により死滅等の影響を受けるはずである、右影響予察はこれを完全に無視している点で全く不十分な、信用できない調査である旨指摘していることが認められる。また、原告らも、<証拠>の指摘を援用したうえ、幼生の浮游期間三五日間において温排水が七度C上昇から二度C上昇に下降するまでに要する連行加入水量は、本件発電所の温排水量は六六五三万トンの2.5倍にあたり、この水量中に含まれる浮游幼生の数は、水深〇メートルから二メートル層に存する平均幼生数を仮に右影響予察がいうがごとき二一個体と考えても、約三五億個体(21×25×6653×104)となり、このうち、付着稚貝となる歩留り率を前記のごとく0.3パーセントとすれば、一〇五〇万個体となる、これは伊達・有珠地先海域の平均採苗数の約八一パーセントにあたる、すなわち、温排水により、浮游幼生は八一パーセント以上の減耗を受ける旨主張する。
右水資協の影響予察については、そこに用いられた開発局資料の取り上げ方及びこれをもとに概算推定したその推定根拠につき十分な説明を欠くきらいがあることは前記認定判示したとおりであり、加えて、二度C昇温する範囲を平野式を用いて計算したことも、結果的には前記(2)(イ)(b)で認定判示したシミュレーション手法を用いて計算した昇温範囲に照らし齟齬があり、これらの点よりすれば、<証拠>の指摘及び原告らの主張に首肯すべき部分がないわけではない。
しかしながら、他面、右指摘及び原告らの主張は、温排水に連行加入する海水中に存する浮游幼生のすべてが、一時的な昇温によつて死滅等の影響を受けるものであるとの前提に立つての立論であるところ、温排水の放水口のごく近傍は別としても、二度C昇温域に存するすべての浮游幼生が、昇温した昇温排水と混合することによつて死滅するとの事実は、単なる可能性としてなら格別、本件全証拠によつてもこれを認めることはできず、かえつて、右影響予察においても述べているごとく、これまでの調査例及び海洋学上の知見によれば、浮游幼生は、温度低下の影響を受けやすいが、温度上昇に対しては比較的強いことが知られているところである。そうすると、右原告らの主張は、その前提を欠くことになり、にわかに採用できないといわなければならない。その他右主張を認めるに足りる証拠はない。
(ⅳ) 温排水の排出による稚貝、成貝への影響
原告らは、ほたて貝の稚貝や成貝は、海水温が二五度Cを超えた場合には死滅することが知られているところ、伊達・有珠地先海域の水温が七、八月に二〇度Cを超えることは常態であるから、このような場合、温排水による一度Cの昇温によつても稚貝や成貝は死滅する危険性がある旨主張する。
しかしながら、本件証拠中には、原告らの右主張を肯認するに足りる証拠は見あたらないうえ、かえつて、<証拠>によれば、伊達・有珠地先海域におけるほたて貝養殖漁場は、放水口に一番近いところでも六〇〇メートルから七〇〇メートル離れていること、前記垂下式養殖においては、養殖かごは通常三メートルから四メートルの水深を利用して設置されているものであること、地蒔き養殖においては、種苗は海底に放流され生育されるものであること、昭和四三年一二月の北海道開発局の調査によれば、右海域においては、成貝は、汀線距岸四五〇メートルから五〇〇メートルにおいて、三二〇平方メートルあたり一個体から三個体程度が、水深七メートルから八メートルのところに生息しており、これより岸に近い地点には生息していないとされていること、成貝は、五度Cから二三度Cの温度範囲において正常な成長発育をとげるものであることが知られているところ、右海域における夏季最高水温は一〇メートル層で約二〇度C、海表面層で約二二度Cとなつていること、との事実が認められ、右事実に、前記(2)(イ)(b)で認定した本件発電所から排出される温排水の拡散範囲及び拡散形態を併せ考慮すると、原告らの右主張は、にわかに採用しえないものというほかはない。
(b) 温排水の排出によるのり、わかめ、こんぶへの影響
伊達・有珠地先海域における海藻資源の主なものは、のり、わかめ及びこんぶであることは、前記(1)(ア)で認定したとおりである。
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
のりの生産は、養殖により、主としてアルトリ岬の西側ないし有珠湾内の有珠漁業海域において行われているが、近時、ほたて貝漁業の不振から、これに代つて盛んになりつつある。のりの養殖は、平均潮位前後の海中又は海表面において行われ、九月中、下旬ころが採苗期、一一月から四月の間が摘採期である。わかめは、天然のもののほかに、投石によつて増殖されるもの、養殖されるものがあるが、養殖によるものは天然のそれに比して右両漁協とも比較的少なく、その漁場は、放水口に至近のもので約一〇〇〇メートル離れた位置にある。わかめの養殖は、海水面下0.5メートルから三メートルの海中において行われ、八月が採苗期、一〇月から三月の間が摘採期である。こんぶは、殆んど天然のものによつており、その漁獲量は、両漁協とものり及びわかめに比して多い。以上の事実が認められる。
原告らは、のり、わかめ及びこんぶはいずれも高温に弱く、本件発電所の温排水の排出によつて海水温度が上昇する結果、生長阻害、病気発生等が起こり、その時期いかんでは甚大な被害をもたらす旨主張するので検討する。
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
まず、のり、わかめ、こんぶの生長と水温の関係についてみると、のりは、水温一二、三度Cから四、四度Cの間でよく生長し、一〇月中、下旬から一一月上旬の水温一五、六度Cから一二、三度Cのとき芽いたみ(きわめて小さい幼芽から二、三センチメートルまでの葉体が死滅流失する現象)、白ぐされ(よくのびた葉体の葉先がはじめ赤くなり、ついで黄緑色から白色に変わり崩れていく現象)、どたぐされ(葉の乾燥後表面が青白い粉をふいたような状態になり、光沢がなく、製品価値を減ずる現象)が発生することがある。なお、のりの生育温度は二度Cから二二度Cであるが、その適温は、幼芽では一八度Cから二〇度C、成体では六度Cから一五度C、特に一〇度C前後とされている。また、のりの病気の中に、藻菌類の病菌によるあかぐされ病があるが、その多発環境条件としては、一二度Cから一五度Cあるいはそれ以上の水温の上昇傾向の場合、天候温暖無風のような場合、干出の少ない小潮時や低張りの網あるいは干出のない浮動式網の場合、河川水の流入の多いところや大雨後などの塩分低下の場合などがあげられている。更に、千葉県君津郡に所在する東京電力袖ケ浦発電所(当時の出力一号機六〇万キロワット、二号機一〇〇万キロワット)において、昭和四九年一一月から同五〇年二月にかけて、千葉県水産試験場が行つた調査によれば、右発電所から排出される温排水によつて、放水口から2.3キロメートルから2.7キロメートル離れたのり養殖漁場内の海水が一度Cから三度C上昇し、その結果、放水口に近い漁場では珪藻の付着と赤ぐされ病の発生がみられ、品質低下と生産減少をもたらしたとの報告がされている。
次に、わかめの生長と水温の関係については、わかめは、四度Cから七度Cの間で最もよく生長し、一〇度Cを超すと成熟し始め、二〇度Cくらいになると流失すること、九月下旬の水温一八度Cくらいまでの時期と一〇月中旬から一一月下旬の水温一五、六度Cから一二、三度Cの時期に、水温降下が不順になると芽落ち現象がみられることがあるとされている。
更に、こんぶと水温の関係については、こんぶは、五、六度Cから一五、六度Cで最も良く生長し、二〇度C近くになると成熟し始めて生長が鈍り、やがて末枯が甚しくなることが知られている。また、こんぶの葉体や根に付着して増殖し、こんぶの品質を低下させるものとしてひらはこけむしの存在が知られているが、同四五年、このひらはこけむしが噴火湾一帯で大発生し、養殖こんぶ等に大きな被害を与えたことがあつた。ひらはこけむしの発生の原因については、これまでいくつかの研究、調査報告等があるが、函館水産試験場の鳥居茂樹らの右湾内における同年度及び同四六年度の調査によれば、ひらはこけむしの付着時期と水温の関係について、水温が極端に低い場合や高い場合を除いては、水温はあまり強い制限要因にならないと推定されるが、実験的に確認することはできなかつた旨の報告がされており、一方、北海道大学理学部の伊藤立則及び馬渡駿介の同湾内における同四五年一二月から同四六年三月にかけての調査によれば、海水温の上昇がひらはこけむしの付着及び増殖を促進させ、これがこんぶの収獲期と一致した場合に大きな被害をもたらすものと推測される旨の報告がされている。以上の事実が認められる。
ところで、本件発電所の温排水が、伊達・有珠地先海域ののり、わかめ、こんぶ等の海藻資源にどのような影響を与えるかについて検討するにあたつては、右に認定した水温上昇が右海藻資源に被害を与えるメカニズムのほか、右海藻資源が右海域のいかなる地点において生育、漁獲されているのか、そして、本件発電所の温排水の拡散範囲、拡散状況はどの程度なのかも併せ考慮しなければならないところ、右海藻資源の漁獲位置については、本件証拠上、前記認定した程度にしか明らかにはされておらず、また、温排水の拡散範囲等についても、前記(2)(イ)(b)で認定判示した限度で明らかにされているにとどまつている。
そうすると、以上の限度で本件発電所の温排水による右海藻資源への影響について判断する限り、一般的可能性として、本件発電所の温排水が、右海藻資源が生育、漁獲されている地点にまで拡散し、該地点の海水温を相当程度に昇温させた場合には、右海藻資源になんらかの影響を及ぼすであろう可能性があるとはいいえても、その前提たる海藻資源の生育、漁獲位置並びに温排水の拡散範囲及び拡散状況が未確定である以上、右は抽象的仮定論の域を出ないというほかはなく、まして、右影響の態様及び程度については、到底これを認定しうべくもないといわなければならない。その他原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。<中略>
(三) パイプライン等による被害発生のおそれ
(1) パイプラインによる被害発生のおそれ<中略>
(ウ) パイプの破損の可能性、それによる被害発生のおそれの有無
(a) 原告らは、本件パイプラインのパイプが破損すれば、油の流出に伴つて火災が発生したり、飲料水、農業用水、土壌、海岸が汚染されたりして被害を受けるおそれがあると主張し、パイプの破損原因として、まず、地震、軟弱地盤、溶接部位の欠陥、他工事、腐食、ウォーターハンマー、冬季の凍上、自動車荷重などを挙げているので、以下これらの点について検討する。
(ⅰ) <証拠>によれば、被告は以下の内容の設置計画に基づいて本件パイプライン埋設工事を施行したことが認められる。
① 本件パイプラインのパイプは、外径318.5ミリメートル、肉厚(直管部)8.74ミリメートル又は11.13ミリメートル、同(曲管部)9.52ミリメートル又は12.70ミリメートルの鋼管を本管として用い、その表面を防錆塗料で塗装したうえ、断熱性能があり、水を通しにくい厚さ五〇ミリメートルの硬質発泡ポリウレタンフォームで外周を覆い、更に、その外側を耐衝撃性、防水性、耐久性、耐腐食性に優れたFRV(ガラス繊維強化塩化ビニール)で外装した二重構造とする。また、他の地盤に比べ地震時の衝撃が比較的大きくなると思われる地盤の箇所(発ターミナルから元室蘭川に至る区間、室蘭市石川町室蘭環状線ぞい、北黄金配水池付近、紋別川から気門別川に至る区間、その他中小河川付近等)には、FRVに代えて一層強度の高いポリエチレン被覆鋼管をもつて外装する。
なお、主要道路、河川及び線路の各横断部においては、さや管(鋼管)内に右構造のパイプをおさめることにより、パイプを防護する。
パイプの本管として使用する鋼管は、欧米において広い使用実績のあるAPI(アメリカ石油協会)の規格に適合するもので、直管部にAPI五LX―X五二及びAPI五LX―X五六、曲管部にAPI五LX―X六〇の管種を使用する。
なお、パイプは、製作時に約一七〇kg/cm2の水圧試験、パイプライン敷設完了時には最大常用圧力の1.5倍の約41.3kg/cm2以上で耐圧試験を行う。
伊達地方の既往の地震のうち最大級のものは明治四三年の明治新山生成時に起きた有珠山地震であつて、このときの地震は洞爺湖畔から虻田、有珠にわたる地域が震度五、伊達地域が震度四、室蘭地域が震度三程度であつたところ、本件パイプラインは震度五の地震に耐える構造とする。
長流川ぞいの館山トンネル出口から着ターミナルにかけての区間の地盤は、主として比較的均等な細砂で構成されており、大地震を受けた場合には、地表付近の一部が一時的に液状化することが予想されるので、鋼管杭及び鋼管の二重構造とするなど設計上の考慮を払う。
被告は、地盤沈下について、本件パイプライン設置後一年間は一か月に一回以上、設置後一年を経過した日から二年を経過するに至るまでの間は三か月に一回以上、それ以降は六か月に一回以上、交通量が多く盛土した国道を横断する箇所(室蘭市石川町、伊達市館山下)、交通量が多く盛土した国道と並行する箇所(偶達市北稀府、萩原)、盛上を造成してその下にパイプを埋設する箇所(伊達市北黄金)、強い地震時に液状化のおそれがある箇所(室蘭市崎守、伊達市館山下、長和)に沈下測定装置をそれぞれ設置(合計一〇箇所)し監視する。
② 本件パイプラインの本管の接合は、被覆金属アーク溶接による。そして、溶接部分については、すべて放射線透過試験によつて検査をする。更に、本件パイプライン完成時に全線にわたり、最大常用圧力の1.5倍以上の圧力で耐圧試験を行い、溶接の強度を確認する。
③ 上下水道工事、ガス工事、道路補修工事、河川改修工事などの他工事によるパイプラインの破損防止対策としては、パイプの埋設してある位置を示すために約一〇〇メートルごとの地点及び曲管部などの箇所の地上に位置標識を、パイプの上部約三〇センチメートルのところにパイプの埋設を示す合成樹脂製のシート(注意標示)を、他の土木工事が行われることが多いと考えられるところのパイプの上部約三〇センチメートルの位置に鉄筋コンクリート製の防護板をそれぞれ設置するほか、ルート沿線で他の工事が行われていないかどうか、設備に異常がないかどうかを毎日パトロールして監視する。
④ 腐食対策としては、パイプの外面に防錆エポキシ樹脂を塗布し、更に、硬質発泡ポリウレタンフォーム及びFRVでパイプを外装するほか、仮に塗覆装に軽微な損傷が発生した場合でも、十分な防食が行われるよう流電陽極法による電気防食を行う。
⑤ 被告は、更に、保安上の対策として、次の処置を講ずる。
運転状態監視装置
着ターミナル及び配管部の機器の状態、圧力、温度及び流量等を遠方監視制御装置で発ターミナル制御室に伝送し、中央監視制御盤に状態表示する。
漏えい検知装置
流量比較装置
パイプラインの送り出し側及び着側にそれぞれ流量計を設置し、双方の一定時間ごとの積算流量の差を監視し、漏えいを検知する。
圧力パターン検知装置
定常運転時には、運転条件によりパイプライン内の圧力は固有の分布を示すが、漏えいが発生した場合は、漏えい点の圧力が低下し定常運転とは異なつた分布になる。この圧力分布の変化をパイプライン経路に設置した圧力計により検知する。
非加温流体静圧測定装置
本管系内の圧力を一定に静止させ、当該圧力を測定することにより漏えいを検知する装置。本装置は、加温を必要としない低粘度燃料油の場合に使用する。
加温流体漏えい検知装置
パイプラインの運転停止中に重油等の温度変化による体積変化を測定し漏えいを検知する装置。本装置は、加温を必要とする高粘度燃料油の場合に使用する。
微少漏油検知装置
本装置は、他の漏油検知装置では検知困難な少量の漏油を油の電気抵抗を利用して検知する装置。
安全制御装置 安全制御機能
異常事態が起きたときは、次にあげる方法でパイプラインの運転を停止する。
緊急しや断①
八〇ガル以上の地震を感知したとき、流量比較法により漏えいを検知したとき、圧力パターン法により漏えいを検知したとき等は、直ちに送油ポンプの停止及び全緊急しや断弁の閉鎖を自動的に行い、パイプラインの運転を停止する。なお、感震計を発・着ターミナルに各一台設置し、また、緊急しや断弁を〇キロメートル地点(発ターミナル)、2.2キロメートル地点(崎守)、9.9キロメートル地点(牛舎川)、15.8キロメートル地点(弄月)、19.6キロメートル地点(紋別川)、20.1キロメートル地点(気門別川)、23.8キロメートル地点(長流川)、24.0キロメートル地点(長流川)及び25.1キロメートル地点(着ターミナル)にそれぞれ設置する。
緊急しや断②
微小漏油検知装置により漏えいを検知したとき及び四〇ガル以上の地震を感知したとき等は、送油ポンプ停止及び発ターミナル緊急しや断弁を閉鎖し、内圧を下げてから他の緊急しや断弁の閉鎖を自動的に行い、パイプラインの運転を停止する。
保安停止
通信制御装置の故障、発・着タンクレベルの異常等のときは、着ターミナル緊急しや断弁の閉鎖のあと、送油ポンプ停止の順で自動的にパイプラインの運転を停止する。
圧力安全装置
圧力制御装置
最大常用圧力(27.5kg/cm2)以上に圧力が上がらないように制御する装置。
異常圧力放出装置
最大常用圧力の1.1倍を超えるような異常圧力が発生した場合にそれを放出する装置。
緊急通報用専用電話
住民が漏えいを発見した場合に発ターミナル制御室に通報できるように、パイプライン経路約二キロメートルごとに緊急通報用専用電話を設置する。
(ⅱ) 更に、<証拠>によれば、本件報告書は、地震対策について、地盤「液状化の予想される区間は、長流川付近室蘭本線から着ターミナルに至る区間であつて、この区間での配管の変位の測定の目的は、地震があつた場合の変形をチェックするためのもので、この種の特殊地盤対策として、適当な措置と考えられる。なお、液状化したときの対策としては、鋼管杭の引抜き抵抗をもつて、配管の浮力に対抗させる構造としており、その設計は妥当なものと考えられる。」、伊達・室蘭地方は、技術基準では、「地震統計的にB地区に格付けされているが、申請者は一段上のA地区に仮定した厳しい条件で強度計算を行い、これに対しても配管の最大応力度が許容限度の範囲にあることを確認している。また、有珠山周辺の既往の地震を考慮した地震工学的計算による震度の値も、安全側にあることを確認している。」、圧縮性地盤の「圧密に関していえば、本配管経路に点在する圧縮性地盤の圧密特性は大きい過圧密比(OCR)に特徴づけられ、このため、圧密層の全深にわたり地下水位が降下したとしても、圧密量は数センチメートルにすぎず、圧密に基づく管の変形は、微々たるものと結論づけており、この結論は、妥当なものと考えられる。」と、また、溶接については、「本件パイプラインの配管の接合は現時点において考えられる技術の最善を尽くして施工されるものであつて、溶接工学の立場から安全性に対する十分な信頼度が期待できる。」と、また、凍結については、「当地方の凍結深度が六〇センチメートル前後であるので、本配管の埋設深さは適切である。」とするものであることが認められ、以上の事実に基づいて考えるに、本件パイプラインの設計においては、輸送油の漏えい及びその拡散防止につき現在の技術水準上可能な限り慎重な配慮がなされているということができ、原告ら主張の前記事由によつてパイプが破損するという事態の可能性の存在はなお否定し去ることはできないものの、それが高度の蓋然性が存していることについてはいまだ肯認することができない。
(b) 原告らは、パイプの破損原因として、ほかに、埋め戻し不完全、本件パイプラインの地下水流に対する影響に伴う地盤構造の変化を挙げるので、次にこれらの点について検討する。
(ⅰ) <証拠>によれば、本件パイプライン埋設工事中に次のような事態が生じたことが認められる。
① パイプライン埋設位置付近の一部(室蘭市石川町の道道室蘭環状線、伊達市北黄金(大谷地)の黄金一号線、通称和五郎道路、弄月地区の道路、西関内道道滝の町伊達線、館山下地区)に亀裂ないし陥没が生じた。
② 伊達市清住、中稀府、館山下、稀府の一部のパイプライン埋設工事現場(いずれも道路)においては掘削溝が浸透水によつて水浸しとなつた。伊達市清住の加藤勝宅においては、掘削地点から最短距離約五〇メートルの位置にある井戸の地下水位が同所付近の埋設工事の開始に伴つて低下した。稀府二〇号線、清住地区西一号線、伊達市北黄金(大谷地)、館山下トンネルのパイプ埋設箇所(いずれも道路)の一部において、地下水が地表面に浸出した。
(ⅱ) 他方、<証拠>によれば、被告は、本件パイプライン工事着手前次のごとき設置計画をもつていたことが認められる。
① パイプを埋設するため、まず、深さ二ないし2.5メートル、幅1.2ないし1.4メートルの溝を掘削し、パイプを設置した後、パイプの周囲を置換砂で締め固めたうえ、埋め戻し土を盛つて在来地盤と同程度に締め固める。
② 一工事区間約一一〇メートルとして標準日数約四〇日間でパイプ埋設工事をするが、そのうち浸透水の排水をする日数は約二五日間とする。
地下水位が開削面より高く、開削部への浸透水量が比較的多いと予想される箇所には、止水を兼ねて鋼矢板を深さ約四メートルまで打ち込む。
北黄金地区においては、特に、掘削深さを一メートル程度とし、その上部を盛土することによつて湧水に影響を与えないこととする。
③ 本件パイプライン埋設工事着手前に設置した約四〇個の観測井及び工事中に適宜設置する観測井をもつて、本件パイプライン完成後も一年間地下水位を測定し、本件パイプラインによる地下水への影響の有無を監視する。
(ⅲ) ところで、軟弱で含水比の高い地層から成る場所でパイプライン工事が行われれば、「掘削現場及び周辺の場所の地下水の賦存状態が変化して地盤沈下や土地陥没を招く。鋼矢板を打ち込んで地下水脈あるいは地下水盆を遮断すれば、地下水流の上流方向から埋設場所へ向つて流下してくる地下水は、鋼矢板に遮断されて、その水位が上昇し、ついには地表面に溢れ出るようになる。工事現場における地下水の大量排水は、周辺部において湧水の枯渇、井戸の水位の低下、土地の乾燥化を招く。置換砂の締め固めはどんなに念入りに行おうとしても、地層の続成過程において、それなりの長年月の間に自然に締め固められた在来地盤と同程度に締め固めることは困難であつて、大量の水分を吸収すると分離流出しやすい。鋼矢板が引き抜かれたのちには、それ以前に比べて置換砂中の地下水の流量が更に多くなるとともに、流速もいつそう早くなるため、置換砂の大量流出が起こつて、各所に地下空洞が形成され、それが、当該場所の陥没、パイプの損傷という事態を招く。」旨の原告らの主張は、一般論・抽象論としては首肯しえないではない。そして、前記(ⅰ)認定の亀裂、陥没、地下水の浸出・水位低下は、発生時期・場所的位置からして、埋め戻しの不完全若しくは本件パイプライン埋設工事による地下水流の変化が一因をなしているものと推認される。しかしながら、<証拠>によれば、本件報告書は、「パイプ埋設地は、乾燥地、適潤地、湿性地、過湿性地が存在するが、計画によるとパイプの埋め戻し部は、在来の地盤とさしたる変化がないように転圧されるため、水の流れが従来と甚しく変ることは予想されない。」と、また、「申請者の実施した試験によれば、配管敷設前後の土の状態にはさしたる変化はなく、たとえば敷設前の配管附近の湿潤密度が1.64ないし1.82g/cm2であるのが、敷設後は砂部分で1.75ないし1.80g/cm2、埋戻し土部分で1.60g/cm2程度にかわるであろうことが予想されるので、配管付近の土の工学的性質が敷設前にくらべて甚だしく変化することにはならないとしている。したがつて、工事の規模を考え合わせると配管の埋設によつて地下水流が従来と甚だしく変ることは予想されないとする申請者の判断は妥当と考えられる。」としていることが認められ、前記(ⅱ)の事実をも併せ考えると、本件において、前記(ⅰ)認定の事実をもつて直ちに本件パイプラインのパインが破損するおそれがあるとまで推認することは難しく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(エ) 本件パイプラインが存在することによる被害発生のおそれの有無
(a) 原告らは、本件パイプラインが存在することにより、埋設地点周辺の農地が湿潤化したり、井戸水が枯渇あるいは水位低下するおそれがあると主張するが、前記(ウ)(b)(ⅰ)②認定のとおり、伊達市清住の加藤勝方の井戸水の水位が低下したということのほかには、本件パイプラインの設置によつて、どの範囲にわたつてどの程度原告ら主張のような被害が発生するおそれがあるのかこれを明らかにするに足りる証拠はない。
(b) 原告らは、本件パイプラインが存在することにより、土中温度が上昇し、農作物に被害が生ずるおそれがあると主張するので、以下この点につき検討する。
(ⅰ) <証拠>によれば、本件パイプラインは、最高六〇度Cの燃料油を輸送することが認められる。
(ⅱ) しかしながら、他方、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
① 本件パイプラインは、大部分、国道、道道、市道等の公共道路に敷設される。民有地を通過する部分(合計距離五八六メートル)については、当該用地(用地幅四ないし六メートル)を買収し、パイプ外面から用地境界まで水平距離にして最低1.5メートル以上離して埋設する。
② 被告は、昭和五〇年一〇月二一日から同五一年一二月一〇日まで、伊達市萩原町において、実際に使用するパイプと同じ構造をもつた実験用モデルパイプを使用して、温度上昇分布測定実験を行つた(右萩原町の実験場は、地下水が地表下11.5メートルのところにあつて乾性土地帯である。)。右実験の結果によると、温度影響分布状況は、別紙図面D―2―1、2のとおりである。
③ なお、被告は、本件パイプライン完成後、一年ないし一年半の期間約一五日ごとに弄月及び牛舎川の緊急しや断弁設置場所において土中温度を測定することとしている。
(ⅲ) 前認定((ウ)(a)(ⅰ)①)のとおり、パイプの外側が断熱効果のある厚さ五〇ミリメートルの硬質発泡ポリウレタンフォームで覆われているということ、前記(ⅱ)の認定事実及び<証拠>により認められる次の事実、すなわち、本件報告書が、大旨、「一般に養分の吸収速度は、温度が上がると増加するが、一定温度で極大となり、それ以上では転じて減少する。この極大値は多くの植物でほぼ四〇度Cである。四〇度Cを超えると急激に養分吸収が低下する。作物根の水分吸収のための根は深く入るが、養分吸収のための根は平均五〇センチメートルの深さまでである。この五〇センチメートルの深さのところが四〇度C以上にならなければ良いわけである。パイプラインの内部温度は最高六〇度Cとしているが、パイプを発泡ウレタンフォーム等で、五〇ミリメートルの厚さで覆うためと表層より一二〇センチメートルの深さに埋設するため、作物への影響は避けられる。」としていることを併せ考えると、前記(ⅰ)認定の事実から直ちに原告ら主張のごとき土中温度の上昇による農業上の被害発生のおそれがあると推認することは難しく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(c) 原告らは、本件パイプラインが存在することにより、爆発に対する不安感から解放されず不眠症などの健康上の被害を被ると主張するところ、本件パイプラインが重油等の危険物を輸送する施設であるということに鑑みれば、本件パイプラインに近接して居住する住民のうち一部のものが、原告ら主張のごとき不安感を多少抱くであろうことは推認できないではないが、仮にそうであるとしても、原告らが、本件パイプラインが存在することにより健康被害を受ける高度の蓋然性があるとまで認めるに足りる証拠は何もない。<中略>
3 本件発電所建設についての被告と地方公共団体及び住民らとの折衝、事前調査、発電所建設の必要性等について<中略>
(三) 電力需給事情<中略>
(3) 前記(1)(ア)(a)(b)認定の事実によれば、被告の、昭和四六年度電力長期計画(右計画によつて、本件発電所一、二号機の最大出力はそれぞれ三五万キロワットとされた。)における同五二、五三年度の電力需要の想定値は実績値をかなり上回るものであつたことが認められる。しかしながら、電力需要は、景気の変動とも密接に関連していて、その将来の予測はきわめて困難であるということに鑑み、想定値と実績値との間に齟齬が生ずることはやむをえないことといわなければならない。ところで、前記(1)(ア)の各認定事実からすると、電力需要は、今後、文化生活の向上に伴い、程度に差はあるとしても、なお増加の傾向を辿るであろうことは容易に推認しうる。そして、前記(2)認定のとおり被告は一五ないし一八パーセントの供給予備力を必要としていること及び本件発電所が、建設着工以来、至近年における電力の需給安定のための主力発電所として予定されてきたものであるということ(<証拠>)、以上の事実に照らして考えると、本件発電所は、西胆振地区のみならず、北海道全体によつてその電力需要に対する供給電源として必要な施設であるということができる。
4 まとめ
原告らの環境権に基づく主張がそれ自体理由がないというべきことは前示のとおりである。
そこで、前示認定事実に基づき、原告らの各人格権、土地所有権、漁業権に基づく各請求の当否につき検討する。
まず、大気汚染による健康、植物等侵害のおそれの存否についていえば、前示認定のとおり、本件発電所は、人の健康及び植物等に有害な影響力を有する物質を多量に大気中に排出し、やがては周辺地域に降下するものであり、しかも、少なくとも右拡散を妨げるものとして、一般的に、大気逆転、海陸風、湖風、静隠、風の収束等の現象が存在することが明らかであり、更に、本件発電所周辺地域において、かかる一般的現象の存在を否定しえないところであり、加うるに、人及び植物等は、少なくとも前示大気の汚染に係る環境基準を超えるときは、その完全性につき侵害を受けるに至るものということができるのである(原告は、右環境基準以下の条件下においても右侵害を受けるというが、これを認めるに足りる証拠のないことは前示のとおりである。)。そうとすれば、他に特段の事情のない以上、本件発電所による大気汚染の結果、一般的、抽象的には原告らの健康及び植物等に侵害発生の可能性のあることは否定しえないといえるにしても、他方、前示認定に基づけば、本件発電所の排煙の二酸化いおうの拡散は、仮に地形が平坦で、大気安定度ほぼ中立、風速六m/secと仮定した条件下においては、一般に用いられている計算式によると、最大地表濃度一時間値0.005ppm程度と予測されるごときものであり、これに対して、本件発電所周辺地域における実際の地形、大気逆転、海陸風、湖風、静穏、風の収束等の現象は、完全なまでに解明し尽くされたものとはいえないにしても、ほぼ右拡散に重大な妨げとなるものではないものということができ、また、大気汚染複合の条件は存せず、これに前記本件発電所の大気汚染防止のための設備及び管理、大気監視体制の実体を併せ考えると、右大気汚染については、前記大気の汚染に係る環境基準を超えない程度のものにとどまり、侵害発生を回避することの可能性もまたあるといえるところであり、このことに照らして考えると、前記認定事実によつては、本件発電所の排煙により原告らの健康及び植物等に対し受忍限度を超える被害発生のおそれのあることを推認するに足りず、結局、そのおそれを推認しうる事実の証明はいまだなされていないものといわざるをえない。
もつとも、右汚染物質の長期間における蓄積による人の健康及び植物等に対する影響の点については、その一般的可能性は否定しえず、しかも、かかる影響は、それが発現したときには既に回復がきわめて困難ないしは不可能であることが往々あるところであるが、本件において、その発現の時期及びそれを可逆的に防止しうべき時期につきこれを予察するに足りる事情の存する点については、本件に顕れた全証拠によるもこれを認めるに足りず、少なくとも現在がその時期であるとまでいいうる証拠は存しない。
そして、本件発電所の排煙排出及びその拡散が以上の程度にとどまるものであることに比し、更に前示本件発電所周辺地域における電力需給の観点からしては、本件発電所建設の必要性が存在するといえることをも併せ考えると、今直ちに、本件発電所の排煙排出による原告らへの影響が、本件発電所の操業を前提とする建設差止を求めうる程度にその受忍限度を超えているとはいい難い。
次に、温排水による漁業権侵害のおそれの存否についていえば、前示認定のとおり、本件発電所は、伊達及び有珠各漁協の有する漁業権の対象海域から取水し、かつこれに向けその自然海水温より昇温した復水器冷却水を多量に排出拡散するものであり、しかも、右漁業権の内容たる魚貝類及び海藻類並びにその基盤たるプランクトンは、一般的にその生態は、環境の急激な変化、殊に衝撃及び海水温の変化に影響を受けることが明らかであるから、やはり他に特段の事情のない以上、本件発電所による復水器冷却水取排水の結果、一般的、抽象的には伊達及び有珠各漁協の有する漁業権に侵害発生の可能性は否定しえないが、しかし、他方、前示認定に基づけば、本件発電所復水器冷却水の取排水は、対象海水域の水量及び範囲に比し限られた量及び範囲にとどまるものという余地があるのであつて、これを併せ考えると、右取排水による影響は、右漁業権に基づく操業収獲に減少を来さない程度のものにとどまることの可能性も充分考えられるところであるから、このことに照らすと、右認定の事実によつてはいまだ本件発電所の取排水により、原告らの漁業に受忍限度を超える侵害を及ぼすおそれのあるものと推断するには足りないものというのが相当である。
そして、本件発電所の復水器冷却水取排水が以上の程度にとどまるものであることに比し、更に前示本件発電所建設の必要性の存在を併せ考えると、やはり本件発電所の復水器冷却水取排水による伊達及び有珠各漁協の漁業権への影響が、本件発電所の建設差止を求めうる程度にその受忍限度を超えているということは困難である。
更に、本件パイプライン等による被害発生のおそれについては、パイプラインの周辺地域に及ぼす影響の存在及びその破損の抽象的可能性は存するものの、右被害発生のおそれを推認するに足りるべき事実の存在となると、前示被告の対策等を併せ考えれば、本件に顕れた全証拠をもつてはいまだこれを認めるに十分でないといわざるをえない。
以上の次第であるから、結局、原告らの主位的請求は、いまだ理由がないものというべきである。
(予備的請求について)
第一章本案前の主張について
第一環境権に基づく訴の適法性
予備的請求第一次、第三次(三)のうち、環境権に基づく訴の適法性に関する被告の主張は、主位的請求についての前説示のとおり理由がない。
第二当事者適格
被告は、予備的請求第一次、第三次(三)について、原告帆江勇、同中村晃は札幌市に居住している者であるからいずれも原告適格を有しないと主張するが、右主張は、主位的請求についての前記説示と同じ理由で採用することができない。
第三予備的請求第二次の訴訟物の特定
予備的請求第二次の請求は、その内容を構成するところの「健康」「農林水産物」「景観」がいかなる実体を伴つたものであるか、また、その範囲はどこまでであるかということは、原告らが請求原因として述べるところと対比してみても、いまだこれを具体的に特定識別することができないものといわなければならない。本件訴訟が多数原告によつて提起されたものであるという特殊性を考慮しても、なお本件のごとき請求の趣旨は、審判の対象が特定していないといわざるをえない。したがつて、予備的請求第二次は不適法である。
第四訴の追加的変更について
被告は、予備的請求第三次は、主位的請求と請求の基礎を異にするので、本件訴訟において右請求を追加することは許されないと主張する。以下この点につき検討する。
予備的請求第三次の(一)ないし(三)は、いずれも主位的請求と請求の趣旨を異にするから、訴の変更(民事訴訟法二三二条)に該当することは疑いがない。
ところで、請求の基礎の同一性(同条一項)は、旧訴の訴訟資料や証拠資料を新訴の審理においても利用できる場合であるかどうかという合目的的見地から決すべきであつて、したがつて、新訴と旧訴の訴訟資料、証拠資料の間に、審理を継続するのが不合理でないと言えるほどに強い関連性がある場合に、請求の基礎に変更がないというのが相当である。
これを本件について考えてみるに、予備的請求第三次(一)は、被告が原告らに対して、最善の公害防止対策を講ずることを約束したということを、予備的請求第三次(二)は、原告らと被告との間で、温排水に関する約束が交わされたということ、公害防止協定に定められた温排水に関する規定の履行を伊達市及び伊達漁協に代つて求める請求権があるということ及び公害防止協定を第三者のためにする契約と解したうえ、原告らは右契約の受益者であるということをそれぞれ請求原因とするところ、主位的請求においても、本件発電所の建設によつて被害発生のおそれがあるかどうかという主たる争点に付随して、本件発電所の公害防止対策について、被告は地元住民、関係団体に対して、いかなる説明をしいかに折衝したかということ、また、公害防止協定がいかに締結され、その内容がどんなものであつたかということは、差止を相当とする事情の有無というかたちで、それぞれの立場から自己に有利な事情の一つとしておのおの主張立証され、攻防が展開されていたのである。したがつて、主位的請求と予備的請求第三次(一)、(二)は、請求の基礎が共通しているというのが相当である。
予備的請求第三次(三)は、環境権、人格権、所有権、漁業権の存在を請求原因として述べるものであつて、主位的請求の請求原因と法的根拠が同じであるから、両者の間には、請求の基礎に変更がないというべきである。
なお、主位的請求、予備的請求第三次、いずれも、いわゆる公害の発生を未然に阻止しようとの意図のもとに提起されているものと解することができ、訴の実質的目的は共通しているのであつて、紛争の一回的解決という見地からみるも、予備的請求第三次の追加は、訴の変更の制度の本旨を損なうものではなく、訴訟手続を著しく遅滞せしめるとはいえない。
第五予備的請求第三次(二)のうち、伊達市及び伊達漁協に代位してする請求について
原告らは、そのうちの一部の者が伊達市の住民(甲事件原告(一)ないし(二三)、(二六)ないし(三三)、(三五)、(三六)、(三九)ないし(四一)、(四四)、(四六)、乙事件原告(一)ないし(九)、丙事件原告(一)ないし(一〇))若しくは伊達漁協の組合員(甲事件原告(二四)、(二五))であるので、伊達市及び伊達漁協に代位して、被告に対し、直接、公害防止協定上の温排水に関する定め(昭和五二年一一月二日、伊達市と被告との間で締結された公害防止協定の九条には「温排水の水量は、二基合計で毎秒二二トンとするが、温排水の影響範囲を最小限度にとどめるため、カーテン・ウォール方式による深層取水施設、溢流堤及び透過ブロック堤並びに冷海水混入のためのバイパス施設を設置する等により、復水器冷却水の取水温度と排水温度との差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とする。更に、温排水による海域の温度上昇を抑制するよう努める。」と定められている。また、同四七年六月三〇日、伊達漁協と被告との間で締結された補償協定の六条には「温排水は、排水量二基合計最大毎秒二二立方メートルとし、漁業に及ぼす影響範囲を最小限にとどめるため、深層取水方式等の技術を採用し、放水口における温度差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とする。」と定められている。)に違反しないよう、予備的請求第三次(二)の請求の趣旨記載のとおりの請求をするものであると主張する。そこで、この点につき、以下において考えることとする。
一一般に、住民が、その属する地方公共団体に対して、それとの間の公法関係に由来する諸種の権利(選挙権、被選挙権、請願権、条例の制度改廃請求権、事務監査請求権、役務の提供をひとしく受ける権利等)を有していることは疑いがない。しかしながら、それを超えて、住民が、地方公共団体に対して、なんらかの私法上の請求権を有しているか否かは、実体私法の規定に照らして、個別に決せられなければならない事柄である。
一方、公害防止協定の法的性質については、協定に盛られた個々の条項を仔細に検討して決すべきものであるが、一般的には、公害を防止して公共の利益を図るという行政目的を達成するため、行政活動の手段として用いられる特殊な法形式であると解するのが相当である。そして、公害防止協定に基づいて地方公共団体が取得する権利は、当該地方公共団体に専属し、他に譲渡することもできないし、行政主体でない他の法主体が代つて行使することもできない性質のものであると解するのが相当である。本件の伊達市と被告との間で締結された公害防止協定も、その内容を通覧するとき、右の例外ではなく、専ら行政領域において法的効果が発生する余地があるにとどまる性質のものと考えるべきである。
二1 叙上の、住民と地方公共団体との関係、公害防止協定の法的性格、更に、債権者代位権の制度の趣旨(それは、本来、債権者が債務者の責任財産の維持をはかることによつて、間接的に、自己の請求権を保全しようとするものである。)に鑑みれば、住民は、当該地方公共団体に属しているということのみをもつて、当然に、公害防止協定に基づいて地方公共団体が有している権利をみずから代位行使しうる地位にあるとはいえない。
2 伊達漁協の組合員である前記原告らが、同漁協が被告との間で締結した補償協定に基づいて同漁協が有している権利を代位行使するためには、同原告らが伊達漁協に対していかなる債権を有しているかをまず主張立証すべきであるにもかかわらず、この点について、なんらその主張がない。
3 したがつて、予備的請求第三次(二)のうち、伊達市及び伊達漁協に代位してする請求は、当事者適格を欠くものであり、不適法といわなければならない。
第二章本案について
第一予備的請求第一次について
原告らの予備的請求第一次は理由がないものというべく、これに対する判断の内容は、主位的請求についてしたものと同一である。
第二予備的請求第三次(一)及び(二)について
一第三次(一)について
原告らは、契約上の権利に基づいて、被告に対して、予備的請求第三次(一)の請求の趣旨記載のとおりの履行を求めることができると主張するが、契約の成立時期、締結の当事者についてなんら主張しないばかりでなく、契約内容自体についても、被告は大気汚染防止のためその時最高の公害防止対策をとるとの約束をした旨の主張をするのみであつて、その主張自体具体性を欠くものである。
確かに、例えば、<証拠>によれば、被告が作成した昭和四七年七月付「伊達火力発電所説明資料」と題する書面において「大気汚染防止のため現在の技術で、可能なすべての対策をたてています。」、「北電は入手可能な最小いおう含有量の燃料油を使用します。」と記載されており、また、伊達市と被告との間で同五二年一一月二日に締結された公害防止協定の二条一項には「会社は、公害の発生を未然に防止するため、最善の施設を整備するとともに、常に積極的に公害防止技術の開発と採用をはかるものとする。」と定められていることが認められる。一方、<証拠>によると、国内の重油火力発電所の中には、いおう分0.1パーセントの原油を使用し、あるいは全量排煙脱硫装置、全量排煙脱硝装置を設置している発電所もあることが認められる。しかしながら、前記説明資料には「排煙脱硫装置は現在開発途上にあります。」との記載もあること<証拠>、更に、前記公害防止協定には「一号機には、低いおう化対策の一環として、高性能排煙脱硫装置を設置する。」、「使用燃料は、煙突出口において、実質いおう含有率が0.4パーセントのものとする。」と定められる<証拠>にとどまつていること、以上のことに鑑みれば、前記説明資料及び公害防止協定に前記のごとき最善の大気汚染防止対策を講ずる旨の記載があるからといつて、このことをもつて、直ちに、予備的請求第三次(一)の請求を根拠づけることはできない。ほかに右請求のとおりの履行をすべき契約上の責任を被告が負つているとの証拠はなにもない。よつて、予備的請求第三次(一)は、いずれにしても、理由がない。
二第三次(二)について
1 原告らは、被告が、伊達市及び伊達漁協と公害防止協定あるいは補償協定を締結(伊達市との間では昭和四七年七月一日に公害防止協定を、伊達漁協との間では同年六月三〇日に補償協定をそれぞれ締結。)する以前、原告らを含む住民に温排水量を毎秒二二トン以下、温度差を七度C以下にする旨を約束したので、右約束に基づいて、予備的請求第三次(二)の請求の趣旨記載のとおりの請求をするものであると主張するので、この点につき検討する。
<証拠>によれば、被告は、本件発電所の建設に先立ち、伊達市、伊達漁協それぞれに対して、本件発電所の建設、操業による漁業被害防止の具体策を説明し理解と協力を得るべく交渉し、伊達市当局及び伊達漁協の交渉委員会と種々協議を重ねた結果、それぞれとの間で合意に達し、公害防止協定あるいは補償協定を締結したことが認められる。そして、<証拠>によれば、被告は、右交渋の際に、地元住民の理解を得るべく、それらに対して、説明会、パンフレット等によつて温排水量、温度差に関する事項をも含めて本件発電所の規模、内容等を説明したことが認められるが、右の事実をもつて被告と個々の住民との間に法的拘束力のあるなんらかの契約が成立したものと解することはできない。蓋し、地域住民に対する右一連の説明は、それ自体法的効果をもつ契約の申込みであると解すべきではなく、本件発電所を建設するにあたつてあらかじめ地元住民の理解を得るための行為又は公害防止協定若しくは補償協定を締結するための準備行為としての意味を有するにすぎないものであると解するのが相当であるからである。したがつて、被告によつて、温排水量を毎秒二二トン以下、温度差を七度C以下にする旨の説明がなされたとしても、このことをもつて、原告らが、被告に対して、予備的請求第三次(二)の請求を求めることはできないといわざるをえない。
2 原告らは、前記第一章第五の、伊達市及び伊達漁協がそれぞれ被告と締結した各協定の条項に基づいて、被告に対して、直接、予備的請求第三次(二)の請求を求める、すなわち、右各協定は第三者のためにする契約であると主張する。
(一) <証拠>によれば、昭和五二年一一月二日、伊達市と被告との間で締結された公害防止協定(改訂分)の九条に「温排水の水量は、二基合計で毎秒二二トンとするが、温排水の影響範囲を最小限度にとどめるため、カーテン・ウォール方式による深層取水施設、溢流堤及び透過ブロック堤並びに冷海水混入のためのバイパス施設を設置する等により、復水器冷却水の取水温度と排水温度との差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とする。更に、温排水による海域の温度上昇を抑制するよう努める。」と定められていることが認められる。
しかしながら、前記第一章第五において述べた公害防止協定の前説示の性格に鑑みれば、右公害防止協定を第三者のためにする契約と解する余地のないことは明らかである。
(二) <証拠>によれば、昭和四七年六月三〇日、伊達漁協と被告との間で締結された漁業補償協定の六条に「温排水は、排水量二基合計最大毎秒二二立方メートルとし、漁業に及ぼす影響範囲を最小限にとどめるため、深層取水方式等の技術を採用し、放水口における温度差を夏季五度C以下、冬季七度C以下とする。」と定められていることが認められる。
しかしながら、右補償協定の全体の趣旨からすると、伊達漁協に属する個々の組合員をして直接に被告に対するなんらかの権利を取得させる合意まで含んでいるとは解されないのであつて、むしろ、個々の組合員は、団体の構成員として組合からの統制に服しつつ、被告との間では、右補償協定に基づく事実上の利益を受けるという関係があるにすぎないと解するのが相当である。したがつて、前記条項があるからといつて、これに基づいて、伊達漁協に属する原告らが被告に対して直接かつ法律上の手段に訴えてその履行を求めることはできないといわざるをえない。
第三予備的請求第三次(三)について
原告らは、予備的請求第三次(三)の請求原因として原告らが環境権、人格権、所有権、漁業権を有していることを主張するが、いわゆる環境権なるものが私法上の権利としては承認されえないものであることは主位的請求についての前説示のとおりであるし、人格権、所有権、漁業権から直ちに原告らの主張のごとき立入調査権が発生するとは解し難く、また、人格権、所有権、漁業権につき侵害のおそれがある場合にはその予防の適切な手段を措ることを請求しうべきであるが、右侵害のおそれがあるといまだいいえないことは叙上のとおりであるしかつ立入調査がそのような場合他よりも最も効果的かつ適切な手段であると解することは困難であるから、原告らの主張は理由がない。
(結論)
よつて、原告らの、主位的請求及び予備的請求第一次をいずれも棄却し、同第二次をいずれも却下し、同第三次(一)及び(三)をいずれも棄却し、甲事件原告(一)ないし(三三)、(三五)、(三六)、(三九)ないし(四一)、(四四)、(四六)、乙事件原告(一)ないし(九)及び丙事件原告(一)ないし(一〇)の予備的請求第三次(二)のうち、伊達市及び伊達漁協に代位してする請求をいずれも却下し、その余の各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を各適用し、主文のとおり判決する。
(磯部喬 秋山壽延 高山浩平)